12.阿蘭陀 Launguage 2

The editing technique is an extension of the composition ─Frank Zappa

 春の日のさした往来をぶらぶら一人歩いている。日比谷公園を歩いていた。重い外套にアストラカンの帽をかぶり、市ヶ谷の刑務所へ歩いて行った。看守さえ今日は歩いていない。空には薄雲が重なり合って、地平に近い樹々の上だけ、僅にほの青い色を残している。薄日の光を浴びて、水溜りの多い往来にゆっくりと靴を運んでいた。
 僕は路ばたに立ち止った馬車の側を通りかかった。馬はほっそりした白馬だった。僕はそこを通りながら、ちょっとこの馬の頸すじに手を触れて見たい誘惑を感じた。形は見すぼらしい痩せ馬でしたが、顔は夢にも忘れない、死んだ父母の通りでしたから。馬の目玉は大きいなあ。竹藪も椿も己の顔もみんな目玉の中に映っている。目はその間も繃帯をした少女の顔だの、芋畑の向うに連った監獄の壁だのを眺めながら。
 僕は坂を登りながら、僕自身も肉体的にしみじみ疲れていることを感じた。細い往来を爪先上りに上って行くと、古ぼけた板屋根の門の前へ出る。門をくぐると砂利が敷いてあって、その又砂利の上には庭樹の落葉が紛々として乱れている。いかにも荒れ果てているのです。墻には蔦が絡んでいるし、庭には草が茂っている。戸口へ来ないうちにくるりと靴の踵を返した。徐に踵を返して、火の消えた葉巻を啣えながら、寂しい篠懸の間の路を元来た方へ歩き出した。春のオヴァ・コオトの下にしみじみと寒さを感じながら、チュウイン・ガムばかりしゃぶっていた。
 行く路の右左には、苔の匂や落葉の匂が、湿った土の匂と一しょに、しっとりと冷たく動いている。その中にうす甘い匂のするのは、人知れず木の間に腐って行く花や果物の香りかも知れない。と思えば路ばたの水たまりの中にも、誰が摘んで捨てたのか、青ざめた薔薇の花が一つ、土にもまみれずに匂っていた。もしこの秋の匂の中に、困憊を重ねたおれ自身を名残りなく浸す事が出来たら――籐の杖を小脇にした儘、気軽く口笛を吹き鳴らして、篠懸の葉ばかりきらびやかな日比谷公園の門を出た。
 僕はコンクリイトの建物の並んだ丸の内の裏通りを歩いていた。すると何か匂を感じた。何か、?――ではない。野菜サラドの匂である。僕はあたりを見まわした。が、アスファルトの往来には五味箱一つ見えなかった。僕は勿論腹も減りはじめた。しかしそれよりもやり切れなかったのは全然火の気と云うもののない寒さだった。僕は往来を歩きながら、鮫の卵を食いたいと思い出した。
「生ミタテ玉子アリマス。」
 アア、ソウデスカ? ワタシハ玉子ハ入リマセン。
 僕は腹鳴りを聞いていると、僕自身いつか鮫の卵を産み落しているように感じるのです。僕は絶えず足踏みをしながら、苛々する心もちを抑えていた。僕は憂鬱になり出すと、僕の脳髄の襞ごとに虱がたかっているような気がして来るのです。
 金沢の方言によれば「うまそうな」と云うのは「肥った」と云うことである。例えば肥った人を見ると、あの人はうまそうな人だなどとも云うらしい。この方言は一寸食人種の使う言葉じみていて愉快である。
 あなたはこんな話を聞いたことがありますか? 人間が人間の肉を食った話を。いえ、ロシヤの飢饉の話ではありません。日本の話、――ずっと昔の日本の話です。あなたも勿論知っているでしょう。ええ、あの古いお伽噺です。かちかち山の話です。おや、あなたは笑っていますね。あれは恐ろしい話ですよ。夫は妻の肉を食ったのです。それも一匹の獣の為に、――こんな恐ろしい話があるでしょうか? いや恐ろしいばかりではありません。あれは巧妙な教訓談です。我々もうっかりしていると、人間の肉を食いかねません。我々の内にある獣の為に。
 里見君などは皮造りの刺身にしたらば、きっと、うまいのに違いない。菊池君も、あの鼻などを椎茸と一緒に煮てくえば、脂ぎっていて、うまいだろう。谷崎潤一郎君は西洋酒で煮てくえば飛び切りに、うまいことは確である。
 北原白秋君のビフテキも、やはり、うまいのに違いない。宇野浩二君がロオスト・ビフに適していることは、前にも何かの次手に書いておいた。佐佐木茂索君は串に通して、白やきにするのに適している。
 室生犀星君はこれは――今僕の前に坐っているから、甚だ相済まない気がするけれども――干物にして食うより仕方がない。然し、室生君は、さだめしこの室生君自身の干物を珍重して食べることだろう。
「そんなものを飲む人がいるの?」
「食いますよ。そいつにも弱っているんです。」
「僕は怖いんだよ。何だか大きい消しゴムでも噛んでいるような気がするからね。」
「さあ、御上り。生憎僕一人だが。」
「野蛮人よ、あの人は。」
「当り前じゃないか、妹もいるんだから。」
「そう思われるだけでも幸福ね。」
「そうですか? ほんとうにそんな傑作ですか?」
莫迦だね、俺は。」
 気違いの会話に似ているなあ。うすら寒い幌の下に、全身で寂しさを感じながら、しみじみこう思わずにいられなかった。
 酒盛りを開きました。その酒盛りの又盛なことは、中々口には尽されません。膝の上の新聞紙包みを拡げると、せっせと室生犀星君を噛じり出した。何処でも飲食する事を憚らない関西人が皆卑しく見えた。殊に丹前を二枚重ねた、博奕打ちらしい男などは新聞一つ読もうともせず、ゆっくり谷崎潤一郎君ばかり食いつづけていた。しかし彼は目じろぎもせずに悠々と室生君を食いつづけるのだった。どうして食ったと云うのですか? これは何も彼等の好みの病的だったためではない。わたしは何か興奮の湧き上って来るのを意識した。今更のように「人さまざま」と云う言葉を思い出さずにはいられなかった。
 何時までもその時の魚の匂が、口について離れなかった。
「ただ今お茶をさし上げます。」
 茶を啜りながら、話のついでにこんな問を発した。
「いかがです? お気に入りましたか?」
 が、口中の生臭さは、やはり執念く消えなかった。……
「やすちゃんが青いうんこをしました。」
 大腸加答児を起して横になっていた。下痢は一週間たってもとまる気色は無い。一体下痢をする度に大きい蘇鉄を思い出すのは僕一人に限っているのかしら?
「氷嚢をお取り換え致しましょう。」
「いえ、もうどうぞ。――ほんとうにお茶なんぞ入らないことよ。」
「じゃ紅茶でも入れましょうか?」
「紅茶も沢山。――それよりもあの話を聞かせて頂戴。」
「いろいろ伺いたいこともあるんでございますけれども、――じゃぶらぶら歩きながら、お話しすることに致しましょうか?」
 三十分の後、わたしは埃風に吹かれながら、W君と町を歩いていた。僕の胃袋は鯨です。コロムブスの見かけたと云う鯨です。時々潮も吐きかねません。
 わたしは黙然と歩き続けた。まともに吹きつける埃風の中にW君の軽薄を憎みながら。散歩を続けながらも、云いようのない疲労と倦怠とが、重たくおれの心の上にのしかかっているのを感じていた。

 以下に列記する芥川龍之介作品から文章を抜粋し、再構成しました。フランク・ザッパの言葉「編集テクは作曲の延長だ」の実践。全て芥川の文章の切り貼り。私は一字たりとも執筆していません。


春の夜
春の夜は
春の日のさした往来をぶらぶら一人歩いている
早春
杜子春

秋山図
東洋の秋
漱石山房の秋
漱石山房の冬

囈語
食物として
教訓談