10.パワーズオブテン

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     ……この光景を1メートルの正方形で囲み、10秒ごとに10倍ずつ離れて見ていくと視界は10倍ずつ広がっていくことになる。
     10メートル四方の広さ。10秒後に正方形はこの10倍になる。(略)
     100メートル四方。人間が10秒で走る距離。ハイウェイの車や停車中のボート、カラフルな競技場が見える。
     1キロメートル四方。レーシングカーが10秒で走る距離。湖畔の大都市が現れる。
     10の4乗、1万メートル四方。超音速ジェット機が10秒で飛べる距離。ミシガン湖の一端、そして湖の全景。
     10の5乗、人工衛星が10秒で横切る距離。長い紐状の雲が見える。
     10の6乗、100万メートル四方。1の後にゼロが6つ。
     ほんの1分ほどで我々は地球全体を見るまでになった。
          ──チャールズ&レイ・イームズの映像作品『パワーズ・オブ・テン』より。

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 一人のソルジャーがライフルを構えている。
 全身に光沢があり、所々で白く光を反射している。あご紐付きのヘルメットを被っている。大きな胸ポケットが左右についたアーミージャケットを着ている。ズボンにもたくさんのポケットがついている。通常のポケットの他、尻に二対、腿に二対、脛にも二対。それぞれ何が入っているのかはよくわからないが、おそらく、サバイバルナイフや万能ナイフの類が数本ずつ、予備の弾丸、通信機器、強靭なロープ、ロープの先に取り付けるフック、方位磁針、防水紙製の地図数葉など、すぐに取り出す必要のある物が入っているのだろう。服の上からで見えないが、左腕には防水対衝撃の腕時計をし、胸の辺りには首からぶらさげたドッグタグが光っているに違いない。重そうな背嚢には、寝袋、食糧品の他に、タバコやチューイングガムなどの嗜好品や、ランプ、固形燃料数個、タバコを吸うための喫煙具──ライターやオイルや灰皿など──、猥褻な物も含む雑誌数冊、彼がキリスト教徒だとしたら聖書なども入っているかも知れない。
 彼の立つ地面には木の板のような巨大な木目が見える。ライフルで何を狙っているのかはわからない。表情は暗く、まるで生きていないような無気力な顔だ。弾丸は発射されているように見えないが銃撃の最中のようだ。相手は人か獣か。いずれにせよ、視線の先をどこか一点に集めている様子から察して、銃口を敵に向けて交戦中に違いない。


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 この大きい樟の木の梢。尻っ尾の長い猿が一匹、ある枝の上に坐ったまま、じっと遠い海を見守っている。海の上には帆前船が一艘。帆前船はこちらへ進んで来るらしい。
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 海を走っている帆前船が一艘。
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 この帆前船の内部。紅毛人の水夫が二人、檣の下に賽を転がしている。そのうちに勝負の争いを生じ、一人の水夫は飛び立つが早いか、もう一人の水夫の横腹へずぶりとナイフを突き立ててしまう。大勢の水夫は二人のまわりへ四方八方から集まって来る。
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 仰向けになった水夫の死に顔。突然その鼻の穴から尻っ尾の長い猿が一匹、顋の上に這い出して来る。が、あたりを見まわしたと思うと、たちまちまた鼻の穴の中へはいってしまう。
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 上から斜めに見おろした海面。急にどこか空中から水夫の死骸が一つ落ちて来る。死骸は水けぶりの立った中にたちまち姿を失ってしまう。あとにはただ浪の上に猿が一匹もがいているばかり。
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 海の向うに見える半島。
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 前の山みちにある樟の木の梢。猿はやはり熱心に海の上の帆前船を眺めている。が、やがて両手を挙げ、顔中に喜びを漲らせる。すると猿がもう一匹、いつか同じ枝の上にゆらりと腰をおろしている。二匹の猿は手真似をしながら、しばらく何か話しつづける。それから後に来た猿は長い尻っ尾を枝にまきつけ、ぶらりと宙に下ったまま、樟の木の枝や葉に遮られた向うを目の上に手をやって眺めはじめる。
 と書かれた見開きのページをぱっくり開いたまま、『芥川龍之介全集6』が机に置いてある。ちくま文庫第9刷の256ページと257ページで、『疑惑』というシナリオの第2章から第9章の全部分である。その傍にはライフルを構えたソルジャーのプラモデルが一体。6分の1スケールで、高さは30センチメートルほどある。全身に光沢があり、所々で白く光を反射している。あご紐付きのヘルメットを被っている。大きな胸ポケットが左右についたアーミージャケットを着ている。ズボンにもたくさんのポケットがついている。通常のポケットの他、尻に二対、腿に二対、脛にも二対。
 彼の立つ机は樫材で作られており木目が美しい。よく磨き上げられており、つやつやの表面に昼の光を帯びている。


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 机の手前側には今見た通り、ライフルを構えるソルジャーのプラモデルと、その足下に『芥川龍之介全集6』が開かれている。 机の周辺部には乱雑に物品が積み重ねられている。左側には大型本が積み重ねられており、下からそれぞれ類語辞典古語辞典・英和辞典・ザ・リアル・フランク・ザッパ・ブック・ジャン=ジャック・ルフラン・ド・ポンピニャンのディドン・ウォーリーを探せ!・サルバドール・ダリの画集・仏語辞典・モンティ・パイソンズ・ビッグ・レッド・ブック・フィネガンズ・ウェイクⅢ・Ⅳ・バカドリル・パブロ・ディエゴ・ホセ・フランチスコ・ド・ポール・ジャン・ネボムチェーノ・クリスバン・ クリスピアノ・ド・ラ・トリニダット・ルイス・イ・ピカソの画集・国語辞典が裏表や向きも不規則に、机の側壁を成している。机の右側にはアイワ製のCDコンポ。ラジオやカセットテープも聴く事が出来る。停止ボタンは正方形、再生ボタンは右向きの二等辺三角形で表されている。早送りボタン・逆戻しボタンはそれぞれ右向きもしくは左向きの二等辺三角形が横に二つ並んだ形象で表されている。音量の調整はプラスとマイナスの刻まれたボタンで行なう。CDコンポの手前にはまず菊判のもう一冊の国語辞典が置いてあり、その上にはレシートが数枚と、折り目が摩耗した動物園のパンフレットがある。CDコンポの左隣には小型の木箱で作られた筆立てがあり、鉛筆三本(そのうち一本は削られていない新品)・シャープペンシル三本・黒のボールペン二本・赤のボールペン・三色(赤青緑)ボールペン・フェルトペン・サインペン・スティック型の消しゴム・耳かき・柄部分の布が剥離した土産用の十手・カッターナイフ・ハサミが詰め込まれている。


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 部屋の南は日当たりの良い狭いベランダに出られる大型の窓。晩夏の夜になると虫たちが美しい合奏を響かせる空き地に面している。かつて真っ白だった壁は今ではタバコのヤニで朽葉色に汚れている。ポスターの貼ってあった場所だけが白く汚れず残っている。
 床は板張りで絨毯が敷いてある。部屋の南には窓に面したベッドとソファ。部屋の北には乱雑に積み上げられた本やCDコンポが置かれた机と、コート掛け。西側にはテレビ台と洋服箪笥と本棚。本棚に並んでいる書物の背表紙をざっと列記すると、ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』、サルバドール・エリソンド『ファラベウフ』、小栗虫太郎黒死館殺人事件』、イタロ・カルヴィーノ『冬の夜ひとりの旅人が』、カンパネッラ『太陽の都』、ルイス・キャロル不思議の国のアリス』、レーモン・クノー『文体練習』、フリオ・コルタサル『石蹴り遊び』、ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』、マルキ・ド・サド『ソドム百二十日』、シャルム・ジェルミナール『キマイラの覚醒』、アルフレッド・ジャリ『ユビュ王』、ハラルト・シュテュンプケ鼻行類』、ジェイムズ・ジョイスユリシーズ』、シオドア・スタージョン『ヴィーナス・プラスX』、ロレンス・スターン『トリストラム・シャンディ』、オラフ・ステープルドン『スターメイカー』、ルイージ・セラフィニ『コデックス・セラフィニアヌス』、マーク・Z・ダニエレブスキー『紙葉の家』、筒井康隆虚人たち』、P・K・ディック『ヴァリス』、ユゴー・ヴェルニエ『冬の旅』、中井英夫『虚無への供物』、ウラジミール・ナボコフ『青白い炎』、沼正三家畜人ヤプー』、ミロラド・パヴィッチ『ハザール辞典』、萩原恭二郎『死刑宣告』、ドナルド・バーセルミ『死父』、ホセ・エミリオ・パチェーコ『メドゥーサの血』、ウィリアム・バロウズ裸のランチ』、T・R・ピアソン『甘美なる来世へ』、トマス・ピンチョン『V.』、コランド・プランシー『地獄の辞典』、マルセル・プルースト失われた時を求めて』、ニコルソン・ベイカー『中二階』、アルフレッド・ベスター『ゴーレム100』、ヴィクトル・ペレーヴィン『恐怖の兜』、ホフマン『牡猫ムルの人生観』、ガブリエル・ガルシア・マルケス百年の孤独』、夢野久作ドグラ・マグラ』、スタニスワフ・レム虚数』、ロートレアモン伯爵『マルドロールの歌』、アラン・ロブ=グリエ『反復』。


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 二階建ての一軒家。築30年を経過した日本家屋である。
 玄関は西に面している。沓脱には2足のスニーカー、パンプス・革靴・サンダルが1足ずつ置かれている。北側に設置された下駄箱には長靴・ハイヒール・登山靴・ビーチサンダルが収納されているほか、ビニール傘2本・黒い傘1本・茶色い傘1本・ピンクの傘1本・赤い傘1本・折り畳み傘3本、そして靴墨や靴磨きが常備されている。下駄箱の側面には靴ベラがフックに掛けられている。傍らの傘立てには傘ではなく虫取り網が立っている。南側には縦に長い鏡が設置されている。上り口を上がって左がトイレ。トイレの壁には銀行でもらったカレンダーと、デパートのおもちゃ売り場で購入した元素周期表が貼られている。上り口の右にはスリッパ入れがあり、スリッパ入れの上には固定電話とタウンページとメモ帳とガラスケース入りの日本人形が置かれている。
 上り口から東に廊下が伸びており、その突き当りはダイニング・キッチンである。ダイニング・キッチンと書けばオシャレな感じがするが実際には台所兼食堂と書いた方が的確と思われるくたびれた8畳である。長方形の食卓その長辺を東西に配し、北側の椅子2脚が家父長と長男の席、南側の椅子2脚が祖父母の席、西側の席が長女の席、東側の席が母の席である。北側にガラス戸を閉てた食器棚があり、大小各種の皿・お茶碗・汁椀・箸8膳・湯呑み・ガラスのコップ・コーヒーカップが収められている。東側には冷蔵庫と収納棚があり、収納棚の曇りガラスの向こうには各種の調理器具たとえば鍋・中華鍋・フライパン・包丁・おたま・泡立て・ボウル・ざる・おろし金がしまわれているほか、電子レンジ・電気ポット・炊飯器などの家電が据えられている。冷蔵庫の扉には動物をデフォルメしたマグネットが3つ貼られているほか、上手に剥がせなかったキャラクターシールの跡がありありと残っている。南側には流しとガス台があり、流しには水の張られた盥の中に平皿が3枚浸かっている。台所の南西には勝手口があり、三和土には突っ掛けサンダルが1足、扉には神社の札が貼られている。
 台所の西、そして廊下の南にあたる一室は12畳の和室で、この家に住む6人家族のリビングとなっている。畳の一部には電気カーペットが敷かれており、さらにその上には布団を除いたコタツが置かれている。コタツの東には座椅子があり、祖母はここで日がな一日ラジオを聴いて過ごす。部屋の北にはクローゼットがあり、この中にはスーツ・ワイシャツ・コート・20本以上のネクタイが収蔵されている。西側の押入れには布団が4組入っているが実際の使用に供されるのはそのうちの1組だけで他は全て来客用だ。南西にはテレビが置かれている。部屋の南は濡れ縁で、10坪ほどの庭に面している。
 台所の北、日当たりの悪いもう一つの和室は祖父の部屋で、押入れ・箪笥・本棚がある。
 廊下の北には洗面所と風呂があり、洗面所には洗濯機が設置されている。風呂の北側には窓があるが開けても眺望は最悪で、隣接する病院の白い壁が見えるだけだ。
 2階に通じる階段はトイレと洗面所の間に位置しており、それを上れば2部屋──子ども部屋と、夫婦の寝室兼書斎がある。


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 二階建ての一軒家、青色の瓦がぴかぴか光を反射している。その南は10坪ほどの庭で、南東に稲荷の社と物置がある。この庭は、目の前を流れる川が氾濫する際に備えて1メートルほどの高台にある。郵便ポストのある門から6段ほど降りると屋根なしの駐車場があり、RVRタイプの自動車が停まっている。
 家の北には白塗りの整形外科病院があり、家の南は空き地である。家の西には川が北から南へと流れている。上流からの生活排水で緑色に濁っている。川と並行して一方通行の道路が南北に走っている。車の通行量は多くない。しかし近所の住人が徒歩もしくは自転車でしょっちゅう通行する。
 川の河口付近であり、500メートルほど南下すると海である。船溜まりには幾艘もの舟が停泊していて、周辺に住む漁師が貝や海苔を漁って生活している。
 一人の男がモーターボートから陸に上がり、北に向かって歩き始める。川沿いの道路をテクテク歩き始める。海の方からゆっくりと、しかし確実に北上してくる。上下を茶色で合わせたコーディネートで、しかも帽子や靴までも茶系の配色だ。
 全身茶色の男はやがて青い屋根の家に辿り着く。男は玄関の鍵を開け、中に入る。


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 ごみごみと住宅が密集しており、高層のマンションも数棟建っている。鉄道が通り、大きな国道と高速道路が走っている。野球場やサッカー場も見える。
 さらにズームアウトすればこの地域は巨大な半島の一部であり、川は湾に注いでいた。


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 海の向うに見える半島。
 画面の中で半島にズームする。拡大。やがて街が見えてくる。拡大。川に沿った道路が見えてくる。拡大。全身茶色の男が住む青い屋根の家が見える。
「目標補足。発射準備完了」
「カウントゼロで発射せよ」
「了解」
「5、4、3、2、1……」
「発射」
 発射スイッチを押した数秒後、整形外科病院と空き地の間に白煙が噴き上がる。
「作戦成功」
「帰還せよ」
「了解」
 作戦本部に漏れ聞こえないよう通信を終了し、副操縦士が操縦士に尋ねる。
「あいつにも、人生があった。それを思うとやるせなくならないか?」
「どうして」
「だってさ、あいつにだって親がいてね。きっと、手塩にかけて育てられたと思うんだ。食事を用意し、着るものを与え、学校に行かせて。恋もしただろう。もしかしたら、奥さんや子どもがいるかも知れない。それをさ、そういった人生の重みをさ、この一瞬、たった一発のミサイルで台無しにするっていうのはさ、なんともやるせない気分になるじゃないか」
「ならないね。だってあいつは、俺の人生にとってはほんの一瞬登場する通行人役に過ぎないもの。ランクとしては昨日食った魚と一緒だよ。おまえ、毎食ごとにおかずの一生をいちいち考えるか?」


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 前の山みちにある樟の木の梢。猿はやはり熱心に海の上の帆前船を眺めている。が、やがて両手を挙げ、顔中に喜びを漲らせる。すると猿がもう一匹、いつか同じ枝の上にゆらりと腰をおろしている。二匹の猿は手真似をしながら、しばらく何か話しつづける。それから後に来た猿は長い尻っ尾を枝にまきつけ、ぶらりと宙に下ったまま、樟の木の枝や葉に遮られた向うを目の上に手をやって眺めはじめる。


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 100メートル四方。人間が10秒で走る距離。ハイウェイの車や停車中のボート、カラフルな競技場が見える。
 1キロメートル四方。レーシングカーが10秒で走る距離。湖畔の大都市が現れる。
 10の4乗、一万メートル四方。超音速ジェット機が10秒で飛べる距離。ミシガン湖の一端、そして湖の全景。
 10の5乗、人工衛星が10秒で横切る距離。長い紐状の雲が見える。
 10の6乗、100万メートル四方。1の後にゼロが6つ。
 ほんの1分ほどで我々は地球全体を見るまでになった。

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