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1.目次

前書き
イントロダクション
はじめに
プロローグ
紺碧の空
菊あるいは苔
酢を入れさせるな
刀と鋼
徹夜したのにな
男の保母は魔女狩りに遭う
インキュバス女体愛撫
皮肉ってやれ
Be lapis-lazuled
陶器に胃袋を描く
以上のタイトルは
Petit abécédaire illustré
つまり小さな解説的ABC詩
その日本語版
たとえばア行の答えは「アオイウエ」
カ行「菊あるいは苔」は「キクカコケ」
全部わかるかな
薄々お気づきかと思うが
この目次は『目次』という名の作品であり
本物の目次ではない
【コラム】単なる言葉遊びの実験場
12=3×4
次に取り出しまするのは
ホロリーム
これは『完全韻詩』と呼ばれる
全行が丸々同じ韻を踏んでいる詩のこと
56=7×8
愛飢えて書き苦出目渣滓全て
ダチ連れて何抜け毛歯皮膚似非
真実咽べやい夢めラリるね手
9-10=11-12

いか
いかが
いかがか
いかがわし
ながいし
ないし
なし

【コラム】いかがわしいし長いし中身ないし何も無しつまり死
Petit abécédaire illustréそれぞれの答え
「青い上」「菊か苔」「酢阻止させ」「太刀と鉄」
「寝ぬのにな」「保父は火へ」「夢魔女揉み」
「揶揄言えよ」「瑠璃られろ」「胃を上絵」
エピローグ
あとがき
解説

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2.二人称小説

  序章
 あなたは本を読んでいます。題名は「二人称小説」。そう、この小説です。なんとこの小説は読者のあなたが主人公なんです。おめでとう、やったね!
 人が祝ってやってんのに無言かよ、いい度胸してんなあ。おい、ちゃんと喜びやがれ。声に出してありがとうを言いやがれ! おまえが今どこに居るのか知らねえが、人目も憚らず大声を出せ! さあ、言え! ありがとうって75デシベル位で叫べ!
 私はなぜ、大切な読者の方に対してこんな生意気な口を聞けるのでしょうか。それは、私が作者だからです。すなわち、この小説世界の神だからです。私がその気になって「あなたは死んだ」と書けば、いつでも小説を終わらせられるのですよ。すごいでしょ?
 だ。け。ど。私だって好き好んで手荒なマネはしたくありません。だから大人しく従いなさい(ムカッと来ました? 来たなら私の思う壷です)。もしも逆らいたいんなら、今すぐ本を閉じて下さい。そうすればその時点で主人公は死亡、あなた以外の読者が主人公を演じ続けます。お疲れ様でした。(読者がすっかり居なくなった最悪の場合は、僭越ながら作者自身が読者になります)
 おや? 読み進めているという事はこの世界に残るんですね。殊勝な心掛けです。しかし忘れないで下さい。あなたが飽きて読むのをやめたら、即刻「主人公は死んだ」にしますよ。これは脅迫ですよ。主人公を生かしたままこの小説世界を抜け出したいんなら、眠たくても読み続ける事が肝要です。ただし、読んでる途中で急に尿意を催した場合は、無理せずトイレへ行って下さいね。その間は本を置いても「主人公は死んだ」って事にはしませんから。おなかがペコペコになった場合も我慢せずに食事して下さい。「主人公は死んだ」にならなくても、現実世界で本人が餓死したらしょうがないですからね。また、暇じゃない人は最後まで読み飛ばしても構いませんよ。そうすれば解放されますから。私は慈悲深い神なのです。
 あっ、危ない、矢が飛んできた! あなたは死んだ。なんちゃって。ビックリしました? 私はお茶目な神でもあるのです。まあ、本筋にも入ってないのにいきなり主人公を殺したりはしませんよ。うふふ。
 ところで、さっき「ありがとう」って言えましたか? 言わなかった人が大半かと思います。まあ、言わなくてもいいです。どうせ私には聞こえませんから。
 寝言はこの辺にしといて、そろそろ始めましょうか。
 物語は何がいいかなあ。冒険活劇がいいかな。うん、おもしろそう、そうしよう。あなたにはとことん活躍して頂きますよ。



   第1章 あなたは目覚める
 あなたは目覚めた。そして一冊の本を手に取り、読み始めた。で、ここまで読み進めた。ご苦労様。

 この章はこれで終わりです。読むのが楽で良かったですね。書くのも楽でした。
 ここからは「あなた」を「君」と書く事にします。この方がなんかフレンドリーでしょ? 本当は敬語がダルくなっただけですけど。



   第2章 君は出掛ける
 君は出掛けた(すぐさま外に出よ)。そうして、帰ってきた(帰れ。家に着くまでは本を閉じて置け)。だから、今は自宅に居る。ご苦労様。

 この章もこれで終わりです。手抜き疑惑発生です。てへ。
 さて、ここからは「君」を「おまえ」と書く事にします。この方がなんだか十年来の親友みたいでしょ? 
 息抜きをしましょう。私が「おまえはアホだ」と書きますから、おまえは「あなたは神様です」と言って下さい。行きますよ。
 おまえはアホだ。(あなたは神様です)
 よし、私が偉そうに見えますね。お疲れ様でした。



   第3章 おまえは体育座りをする
 おまえは膝を抱えて座り込んだ。座りながらクソ小説を読んでいる。今のおまえは世界中の誰よりも無駄な人生を過ごしている事だろう。おまえはなんだかとっても切なくなった。ご苦労様。

 この章もこれで終わりです。って書くと思ったか? バカめ、この章はまだまだ続くんだよ!
 と思ったけどやっぱやめます。
 ちなみにここから「おまえ」は「てめえ」だ。なんだか親しげで、それでいて仲が悪そうだろ?



   最終章 うんこは死ぬ
 うんこは死んだ。

 ありゃ、順番間違えた! いけね、こっちが先だわ。



   第4章 てめえは今のを見なかった事にする
 てめえはうっかり作者のどっきりミスで自分の結末を見ちゃった。が、それは見なかった事にし、最終章は自分の記憶から排除した。その結果、自分の人称が「てめえ」から「うんこ」に変わるという悪夢も忘れる事が出来た。

 ふーあぶないあぶない、焦っちゃったよ。でも、こう書いとけば大丈夫。読者はすっかり忘れた筈さ。
 ちょっとテストしてみましょうか。私が「最終章で、てめえはどうなるの?」と質問しますから、「ほえ? ちゃいちゅうちょうってなんでちゅきゃ?」って絶叫調で答えるんです、いいですね。てめえは今家に居る筈ですから、人目を気にする事もありますまい。人が居たとしても家族や友人でしょ、恥ずかしがらないで。親しい人に素の自分をさらしていく絶交もとい絶好の機会ですよ、むしろこういう機会を感謝しなさい。じゃあ、行きますよ。いちいち書くのが面倒だから台本は前のを参照して下さいね。さん、はい。
「(質問)」
「(てめえの叫び声)」
「(教育テレビ風)あれー? ちょっと小さいみたいだよ? じゃあ、もう一回。今度は元気良くね。」
「(質問)」
「(てめえの叫び声)」
「うん、今度はダイジョブだ!」
 よし、最終章の記憶は完全に無くなったようですね。安心しました。



   第5章 誓いのキッス
 てめえはこの章のロマンチックな題名に陶酔した。で、投水(投身入水)した。(いかん、これでは終わってしまう。書き直しだわ)
 てめえはこの章の口マン☆ックな題名までよくも読み進めたもんだ。で、疲れ切った。戦士には休息が必要だ。そこで、眠りに就いた。
 それは案外難しい行動だった。第一、今これを読んでるんだから不可能だった。てめえは怒った。そして、そんな無理な要求をする神様
に向かって叫んだ。
「出来るかバカヤロウ!」
 なんだと! もういっぺん言ってみやがれ!
「出来るかバカヤロウ!」
 よく出来ました。
 てめえは誉められても別に嬉しさを感じなかった。指示を無視して声を出さなかったせいもあるが、段々と神の理不尽に飽き始めていたからだ。
 てめえはいよいよ頭に来た。この本を伏せ、「今度の誕生日まで絶対読まないぞ」と心に決めた。



   第6章 てめえの誕生日
(どうせ続けて読んでるんだと思いますが)
 誕生日おめでとう! 10歳になったんだよね?(てめえが10歳じゃない場合、小説中止。残念。来年また挑戦してね)10歳かあ、もう大人だね。それじゃ、ベッドに行こうか。
 てめえは本を閉じ、眠りに就いた。で、1章からやり直した。
(あらら。10歳、無限ループに陥っちゃったよ。どうしよう、小説が終わらないワ。仕方ねえ、10歳じゃなかった読者を復活させよう。)
 おーいてめえ、また読んでいいよ。どうせ読んでたんでしょうがね。

 色々あったが、てめえは財宝を手に入れ、街の平和も守った。おわり。
 (作者の都合により最終章は割愛させて頂きます)



   後書き
 よくここまで我慢して読みました。
 あなたは英雄だ。それはもう、すごい活躍でした。あんまりすごいんで、詳しく書く気が起きなかった位です。期待以上の大根役者でしたよ。
 で、頑張ってくれたのに悪い事言うけどよ、こんな下らない小説読んでる暇があったら何かしたらどうだ? お風呂で魚釣りしたり、鼻毛の長さを測ったりな、そっちの方がよっぽど有意義だぜ。人生の大切な時間を粗末にして、てめえ何様の積もりだ! しかも最後まで読み切りやがって。てめえってやつは、ホントにありがとう。
 おしまい。

 これでお別れは寂しい、煮え切らないって? じゃあ、「あなたは死んだ」。これで満足ですか? もう読まないで下さい。死んだんだから。って、まだ読んでるよ。しつこいですね。あなたはこの小説世界から現実世界に戻り、本を閉じた。これでいいでしょう。もう読んでないはず。ってそれでも読んでるよ。あーもう解りました、私の負けです。私が居なくなればいいんでしょ?
 消える前に一つだけいい事言わさせてもらいます。
「どんな小説も、あなたの人生には勝らない。」
 私にはあなたの人生に匹敵する小説は書けませんでした。さよなら。

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4.我愛爾

(原作:S.Johnson『ALL I NEED』)

発端                                
 火曜日の昼下がり・喫茶店。店内は閑散としている。客の姿は見当たらない、窓際の席で向かい合って談笑するカップルの他は。男はコーヒーを啜ってから、新しい話題を持ち出す。
「──おまえがもっとブスならいいのにな。」
「どうしてあなたはそう言うの?」
「だっておれは心配だよ、おまえがそれだけカワイイとおまえの浮気が。」
「(彼女はやや声を荒くして)浮気!? あなたはわたしがそんなことするとでも思ってるの?」
「(彼は焦りながら)いや、おれはそういうつもりで言ったんじゃなくて、あのさ、悪い虫がおまえに付かないかって。おまえが他の男から狙われるんじゃないかってね。」
「わたしは浮気なんて絶対しない。だってわたしは真剣にウイリアムの事が好きなんだよ? あなたはそれをわかってくれないかな。どうしたらそれはあなたに伝わるかな…」
「わかったわかった。おまえの気持ちはおれに充分伝わってるよ。そして、おれもおまえが大好きだよ。おれはおまえを愛してるよ。」
「あなたはわたしのどこが好き?」
「えっ。(彼は少し考えて)おまえの全部だよ、全部。おれはおまえの存在自体を愛してる。」
「あなたはわたしの顔やわたしの体目当てじゃないの? あなたは本当にわたしの全てが好き? もしわたしがこの顔じゃなくてもあなたは好きになった?」
「(きっぱりと)ああ、おれはそうなったとも。」
「(彼女は黙り込む)」
「それは本当だってば。あっ、別におまえの顔へのおれの愛情が薄いわけじゃないよ。おまえの顔はスター並にかわいいいって評判だし、おれももちろんそれが大好きだよ。もう、おれはおまえがかわいくってかわいくってたまらないんだから…。」
「(彼女はなお黙る)」
「おれはおれが悪かったと思うよ。もう気にしないで。ね?」
 男は話題のほこ先を巧みに転じる。彼らはまた気楽なおしゃべりを続ける。


経過
 日曜日・美容整形外科の診察室。女が医者と向かい合っている。医者は彼の頭を掻き掻き困惑の表情を浮かべている。
「それは君、ちょっと…。医者の意見としては手術をおすすめできないな。」
「いいえ、いいんです。わたしに手術をして下さい。」
「なんだって君みたいにきれいな娘が整形する必要があるんだい? しかもわたしを醜くしてくれだなんて。なにか君には事情があるんじゃないか? 君は君の彼氏にフラれてヤケになってるとか。なんにしろ一時的な感情で自分の顔を傷つけてしまうのは良くないよ。」
「これは一時的感情じゃありません。これは永遠を誓うための変身です。」
「(医者は彼の首をかしげる)」
「先生、お願いします。わたしを手術して下さい。」
「もう一度私は君に訊くよ。一度君は整形したら二度と元の君の顔に戻らないかも知れないが、それでも君は本当に構わないのかい?」
「(彼女はうなずく)」
「手術はひと月先だ。それまでに君の考えが変わったら、遠慮なく君は私に言ってくれたまえ。」
「その必要はありません。もうわたしの覚悟はできてるんですから。」
 女は整形される。真の愛を得るため。彼氏への忠実な想いを証しするため。


結末 <タイプA>
 火曜日の昼下がり・駅前。たくさんの人が行き来する。止まっているのは待ち合わせをしている人々だけ。その中で、男がタバコを吸いながら恋人の来るのを待っている。
 待ち合わせ時間から二十分。一人の女が改札から早足に出て来る。
「ウイリアム。お待たせ! わたしとあなたが会うのは二週間ぶりだね。」
「(けげんそうに)失礼ですが、どなた様ですかあなたは。」
「わたしよわたし、まあ、あなたがそれをわからないのも無理はないけど。」
「(彼はその場を離れようとする)」
「(彼女は彼の腕を掴んで)待って、わたしだってば、アンナよ。」
「(彼は彼の目を見開いて)えっ、アンナ!? そういえば、その声。本当にあなたはアンナなのか?」
「そうよわたしよ。あなたは驚いた?」
「おれは驚いたっつうかなんつうか、なんだよおまえのその顔は?」
「わたしはわたしの顔を整形したの…。」
「せっ、整形! うそ!? なんで、また…」
「あなたのために。二ヶ月くらい前喫茶店であなたはわたしに言ったじゃない、わたしがもっとブスならよりよい、って。」
「…もう治らないの? おまえのその顔は。」
「うん。」
「(彼は長く沈黙)」
「(彼女は相手の言葉を待って沈黙)」
「(ボソッと)…別れよう。」
「えっ?」
「おれとおまえは別れようっておれは言ったんだよ。」
「(激しい調子で)どうして!? わたしはあなたのためにわたしの顔を整形したんだよ? あなたを心配させまいと…。あなたのあの言葉は嘘だったってわけ?」
「嘘もなにも、本気にするやつがどこにいるんだよ! おれはちょっとした褒め言葉としておまえにああ言ったんだ! おれはもう、本当の事をおまえに言ってやる! おれはおまえの顔が気に入ってたんだよっ。おれはおれの友達からはうらやましがられて鼻が高かったし、街を歩くのにも気分がよかったからな。」
「ひどい…」
「だけどもう、おれはおまえとは街を歩けねえ。なぜならおれは恥ずかしくてたまらないからな。もひとつおまけにおれがおまえに言わせてもらえば、おれはおまえの全てを愛してたわけじゃない。その性格! 頭の悪さ! おまえの中身はブサイクだったよ! おまえの取り柄はきれいな顔だけだったんだ!」
 男はそれだけ言い捨てると去って行った。女はその場に泣き伏せて悲鳴に近い声をあげ始めた。そんな彼女を見ても、人の流れが止まることは無かった。


結末 <タイプB>
 火曜日の昼下がり・駅前。たくさんの人が行き来する。止まっているのは待ち合わせをしている人々だけ。その中で、男がタバコを吸いながら恋人の来るのを待っている。
 待ち合わせ時間から二十分。一人の女が改札から早足に出て来る。
「ウイリアム。お待たせ! わたしとあなたが会うのは二週間ぶりだね。」
「(けげんそうに)失礼ですが、どなた様ですかあなたは。」
「わたしよわたし、まあ、あなたがそれをわからないのも無理はないけど。」
「(彼はその場を離れようとする)」
「(彼女は彼の腕を掴んで)待って、わたしだってば、アンナよ。」
「(彼は彼の目を見開いて)えっ、アンナ!? そういえば、その声。本当にあなたはアンナなのか?」
「そうよわたしよ。あなたは驚いた?」
「おれは驚いたっつうかなんつうか、なんだよおまえのその顔は?」
「わたしはわたしの顔を整形したの…。」
「せっ、整形! うそ!? なんで、また…」
「あなたのために。二ヶ月くらい前喫茶店であなたはわたしに言ったじゃない、わたしがもっとブスならよりよい、って。」
「…もう治らないの? その顔は。」
「うん。」
「そうか、おれのためにおまえは…。なんておまえはばかな奴だ。(彼は彼女を抱き締める)」
「(彼女は驚く)」
「おれはおまえを愛してる、おまえを愛してる、愛してる! 今まで以上におれはおまえを大好きだ。ああ、ああ、おれのアンナ、おれだけのアンナ。おれは、もう、絶対、おまえから離れないよ。」
「(彼の腕の中の彼女は涙をこぼす)わたしもあなたを愛してる。」
「おれは永遠におまえへの愛を誓う。おれにはおまえしかいない。(彼は彼の唇を彼女の唇に重ねる)」
 通行人たちは一様に微笑みを浮かべながらこの光景を見守った。 そして誰からともなくまばらな拍手が彼らに送られた。
 男は彼女の肩に彼の手を回し、女はうつむいた。彼らは二人とも赤い笑顔をしていた。


翻訳者の独り言
 僕は執筆が得意なつもりだ。大好きなあのこも僕の文章を褒めてくれる。しかし、外国語が嫌いだから翻訳は苦手だ。
 彼女は僕の翻訳がまずいからといって、僕を嫌いになるだろうか。それとも、ますます愛してくれるだろうか。
 僕は祈る。彼女が「あなたの書く純粋な日本語だけが好きだった」と言わず、「苦手分野にもチャレンジするあなたが好き」と言うことを。もしくは、「何でも器用にこなせる所が良かったのに」と言わず、「外国語を徹底的に嫌うあなたが嫌いじゃない」と言ってくれることを…。

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5.恋人と別れる500の方法

 つきあっているオンナと、別れたくてしょうがない。
 どうにか穏便に今の関係を終結できないものか。穏便に終わらせたい。逆恨みされたり、自殺されたり、ストーカーされたり、秘密をバラされたりしたら困る。後腐れなくオサラバしたい。永久に。
 そこで俺は、ポール・サイモン『恋人と別れる50の方法』を聴いてみた。何かヒントがあるかも知れないと思ったからだ。
 しかし、聴いてみてガッカリした。『~50の方法』と言いつつサイモンは、具体的な方法については

1.裏からこっそり出て行く
2.新たな計画を立てる
3.内気になる必要はない
4.バスに飛び乗る
5.鍵を降ろす(捨てる?)
6.議論を重ねる必要はない

これしか歌っていない。50の方法を聴き手に想像させる、非常にすぐれた歌詞ではあるが、解決の道すじはほとんど示していない。
 救済策を与えられず想像力だけを刺激された俺は、よせばいいのに、恋人と別れる50の方法を自分で考えることにした。

 いざ50の方法を考えようとしたそのとき、俺の心に巣くう悪魔が(いたずら好きな「想像力」という名の悪魔が)ささやいた。
「いやいや。どうせ考えるなら500いっちゃお500!」
 恋人と別れる500の方法を考えることにした…。(ウンザリするが、俺はこの悪魔の提案に抗えないのだ。損な性格である)
 まず、別れの切り出し方について、思い付くままに書き出してみる。そこから順に、破局のジンクスがあるデートスポット・約束破りの仕方などを列記する。

7.直接さよならを言う
8.お詫びの菓子折といっしょに
9.便箋に想いを綴って郵送する
10.置き手紙を残してそっと出ていく
11.電子メールで
12.電報で
13.伝書鳩
14.矢文で
15.宅急便で
16.訓辞で
17.教室の黒板に
18.駅の伝言板
19.新聞の一行広告で
20.新聞の意見欄に投書
21.雑誌の広告で
22.タテ看板で
23.ビルボード
24.ポスターで
25.フライヤーで
26.社内報で
27.学級新聞で
28.横断幕で
29.ラジオ番組にハガキで
30.ラジオCMで
31.テレビCFで
32.車内広告で
33.場内アナウンスで
34.政見放送
35.ビデオレターで
36.CD-Rに録音して
37.手話で
38.手旗信号で
39.モールス信号で
40.ブロックサインで
41.道路の落書きで
42.のろしで
43.あぶり出しで
44.巌頭之感で
45.仲介役を通して言づて
46.電話で切り出す
47.相手からの電話を切る
48.電話の回数を徐々に減らす
49.電話番号を変える
50.住所を変更する
51.合い鍵を返す
52.部屋の錠を新しくする
53.始発電車で異郷へ旅立つ
54.海外へ高飛び
55.厳島神社に参拝
56.東山動植物園のボートに乗る
57.井の頭公園のボートに乗る
58.稲佐山展望台に行く
59.太宰府天満宮で橋を渡る
60.ディズニーランドでデート
61.12時になると魔法が解ける
62.丑の刻参り
63.顔写真を貼ったワラ人形を目立つ場所に放置
64.悪魔主義に傾倒する
65.大塚晩霜を愛読する
66.終始不機嫌
67.目を合わせない
68.白い目で見る
69.コミュニケーションが取れない
70.梱包材のプチプチを一日中つぶしている
71.返事はいつも「うん」生返事
72.極度のアイドルおたく
73.ゲーム廃人
74.恋人来宅時、恋人そっちのけでRPGに没頭
75.レベル99のセーブデータを消す
76.いいところでテレビの電源を切る
77.映画のクライマックスでチャンネルを替える
78.頼まれていたビデオ録画を忘れる
79.約束の時間に遅れる×10セット
80.横丁の風呂屋、一緒に出ようねって言ったのに先に帰宅
81.突然の雨、自分だけ傘を差してさっさと帰宅
82.相合い傘拒絶
83.発表会・試合などの応援に行かない
84.体育館裏に呼び出す
85.セグウェイに乗ってハチ公前に登場
86.西郷隆盛像の前でわざとはぐれる
87.広大な墓場のド真ん中に置き去り
88.富士山頂で待ち合わせ
89.しかもその待ち合わせをすっぽかす
90.宇宙ステーションに置き去り
91.地球と月で超遠距離恋愛
92.赤ちゃんが乗ってますマークを常時着用
93.ハゲる
94.ウザい
95.知ったかぶり
96.ウソをつく
97.服装が超ダサイ
98.シャツが前後逆
99.メタボリック
100.自慢のロングヘアーをバッサリ
101.第二ボタンをきっちり掛ける
102.派手にバク転失敗
103.カレンダーに赤丸をつけて「別れる日」
104.毎月末には着払いで酢コンブを郵送
105.アレルギー体質を理由にドクターストップ

 ウンウンうなりながら、やっと100。まだ5分の1。げんなりする。このままでは500なんてままならない。少し数を稼がねば…。
 そうだ。口うるさく不満を言うと嫌われるよな。それを書くか。

106.デート場所に不満を言う
107.デートの服装に不満を言う
108.デートの髪型に不満を言う
109.顔に不満を言う
110.化粧に不満を言う
111.デートの移動手段に不満を言う
112.車のスペックに不満を言う
113.掛けた音楽に不満を言う
114.いちおしの映画に不満を言う
115.デートの移動時間に不満を言う
116.カラオケボックスで選曲に不満を言う
117.連れて行かれたレストランに不満を言う
118.食事の味に不満を言う
119.会話の内容に不満を言う
120.何かと言えばすぐ「つまんない」と不満を言う
121.相手の言う冗談には全て失笑で応える
122.存在それ自体に不満を言う

 次第にエンジンが掛かってきた。続いて「悪口」「相手の家族との不和」「金銭トラブル」「別れや失恋に関する花言葉」「暴露」「浮気」など、縦横無尽に想像力は跳び回る。

123.口論が白熱してつい「デコ」と口走る
124.屈辱的なあだ名をつける。たとえば「ゴキブリの触覚」
125.ブタ扱い
126.容貌を蔑む
127.学歴を嘲る
128.趣味に憤る
129.職業を罵る
130.家柄を貶す
131.サイズをせせら笑う
132.相手の身体的な欠点を掛け軸に書いて飾る
133.破顔して「きっとおまえの子どもはブサイクだろうね」
134.おまえの母ちゃんデベソ
135.相手の親を呼び捨て
136.親御さんの部屋でおしっこをする
137.相手の親と関係を持つ
138.相手の親を下僕にする
139.相手の兄弟を襲う
140.身代金を要求
141.家を乗っ取る
142.親類に死亡通知を出す
143.双子の兄弟と入れ替わる
144.替え玉受験
145.手荷物検査
146.ちりがみを食う
147.鼻紙をリサイクルして使う
148.発狂する
149.指輪を返す
150.ブサイクに整形する
151.性転換
152.カミング・アウト
153.フェミニズム論争
154.憲法の話題になるとやたらヒートアップ
155.ジャンケンで俺が勝ったら別れよう
156.あみだくじで当たりを引いたら別れてくれ
157.自演のコックリさん「わ」「か」「れ」「ろ」
158.発声練習のふりをして「わーかーれーよーうー」
159.寝言で「むにゃむにゃ…別れ…むにゃ…よう」
160.仕込みの花びら占い「別れる…別れない…別れる……」
161.アザミを贈る
162.アジサイを贈る
163.アネモネを贈る
164.クコを贈る
165.コケサンゴを贈る
166.秋明菊を贈る
167.スカビオサを贈る
168.ハナズオウを贈る
169.ハナニラを贈る
170.鳳仙花を贈る
171.ネリネを贈る
172.マリーゴールドを贈る
173.みそはぎを贈る
174.ミヤコワスレを贈る
175.ムスカリを贈る
176.白もしくは黄色のチューリップを贈る
177.組み立てもしないプラモデルで愛の巣を占拠
178.おもちゃを貸してあげない
179.ジュースの代金を貸さない
180.外食した際に金を払わない
181.自動販売機を見かけるたび釣銭口をチェック
182.デパ地下の試食コーナーでディナー
183.相手の誕生日に相手の金で馬券を購入
184.その馬券が当たっても誕生日はロクに祝わない
185.誕生プレゼントは外れ馬券
186.生活費を全額キャバクラにつぎこむ
187.生命保険加入を無理強い
188.免許もないのにベンツを購入
189.月収十万円で月々十五万円36年ローンを組む
190.借金取りに日夜追われる
191.本人に内緒で預金を使い込む
192.本人の承諾を得ないで地下組織に肝臓を売り渡す
193.二人の営みを克明に書いたブログの存在を白状
194.学級会で二人の性生活を赤裸々に発表
195.今日のプレイ内容を双方のお母さんに報告
196.週刊誌に相手の恥ずかしい性癖を暴露
197.浴室で自作詩の朗読会
198.寝室でろくろを回す
199.和歌に詠む
200.私小説を出版する
201.昼ドラに出演
202.出演番組でネタに
203.NHKに抗議の電話
204.恋人役を後任者に引き継ぐ
205.万引きの前科を友だちにチクられる(広瀬康一リスペクト)
206.うらみ日記を盗み見られる
207.暗い過去を捏造して打ち明ける
208.殺人の前科を告白
209.長年つきあってから今さらプロポーズ
210.テレフォンショッキングお友だち紹介の際に浮気相手を指定
211.部下とのお忍び温泉旅行をわざと目撃される
212.あえぎ声を録音しておいてあとで聴かせる
213.不倫現場のドキュメンタリーを制作して上映会を開く
214.蒸発する
215.沸騰する
216.妻帯する
217.ヤクザのスケになる
218.政治家の愛人になる
219.占い師のヒモになる
220.神に祈る
221.仏に祈る
222.神父に懺悔
223.暁に祈らせる
224.『煤煙』ごっこ
225.「アメリカでプロレスを学ぶ」と言い残して失踪
226.総括させる
227.練炭を燃やす
228.耐震偽装をする
229.賞味期限を偽る
230.細木数子に改名してもらう
231.仮病で帰国してサッカーに興じる
232.「かわいがり」と称して長時間にわたるリンチ
233.ヒジでええから目に入れる
234.接待ゴルフがバレる
235.バレンタインには青酸カリを(キツネ目の男スタイルで)
236.クリスマスには一週間履き続けた靴下を
237.お年玉は全額回収
238.お盆でも里帰りは許さないぞ!
239.性格の不一致を目指して自己啓発
240.ビックリするほど趣味が合わない
241.好きな球団が別
242.完封負け
243.降雨コールドゲーム
244.負け越し
245.音楽性の違い
246.破門
247.門前払い
248.引退
249.解散ライヴをひらく
250.送別会をひらく
251.おひらきにする
252.お断りだ
253.スタッフロールを流す
254.担任に相談する
255.残業で帰らず
256.社運の掛かった商談を不調に終わらせる
257.終礼をする
258.窓際の席でそっと肩を叩く
259.辞表を提出する
260.倒産
261.自己破産
262.無期懲役
263.裁判所に調停を依頼
264.訴える
265.家庭裁判所のいいお得意さま
266.辞世の句を詠む
267.自殺未遂
268.瀕死
269.出兵
270.宗教上の理由で断る
271.宗派間対立

 青息吐息でやっと半分を超えた。やっと半分か…。もう、まともな「恋人と別れる方法」は思い付かない。あとはひたすら、お得意のセックス&ヴァイオレンスを書き殴っていくしかない。「破壊」「性」「不潔」「暴力」で500達成を目指す。

272.CDをへし折る
273.本を破く
274.卒業証書で鼻をかむ
275.お気に入りの洋服を雑巾に加工
276.金メダルと優勝トロフィーで草野球
277.ホームランボールで盆栽破壊
278.携帯電話を奪い取って埋葬
279.大切な絵皿を灰皿代わりに
280.お父さんの形見の時計を質屋に流す
281.交換日記をちり紙交換に出す
282.保証書の類を燃す
283.靴の中に画鋲
284.布団に大量のイナゴ
285.恋人以外と写ったプリクラを目立つ場所に貼る
286.恋人と撮った写真を全て破棄
287.思い出のアルバムを野ざらしに
288.「拾って下さい」と書かれた段ボール箱に梱包して捨てる
289.燃えるゴミの日に出す
290.燃えないゴミの日に出す
291.粗大ゴミとして処理
292.有価物に出す
293.奴隷として売り出す
294.市場に出荷
295.毎朝「早朝バズーカ」
296.鼻に詰め物
297.昼寝の最中に叩き起こす
298.寝ている相手のホクロを虫眼鏡で焼く
299.出勤前に、おでこに「肉」
300.キスする時スーパーマーケットの袋をかぶる
301.キスする時スーパーマーケットの袋をかぶせる
302.エロ本が見つかる
303.食事もせずにホテルに直行
304.デートの話題はいつも「初デートの思い出」だけ
305.なんだか最近キスの回数減ってない?
306.前戯をおろそかにする
307.口でして終わり
308.マグロ
309.アダルトビデオを凝視しながら相手を抱く
310.アダルトビデオに出演する
311.エッチする時アイドルのお面をかぶせる
312.恋の閑散期
313.移り気繁忙期
314.セックスレス
315.彼女と会う時は勃起不全
316.彼氏の前では常に生理中
317.早漏で候
318.超遅漏
319.イクたびに失禁
320.クラミジア
321.淋病
322.コンジローマ
323.ヘルペス
324.梅毒
325.風呂に入らない
326.無精ヒゲを剃らない
327.ハナクソが鼻の中にモリモリ詰まっている
328.がんばってワキガになる
329.エンガチョ
330.鈴木その子もビックリの厚化粧
331.吐き気がするほどのすっぴん
332.歯を磨かない
333.キスしただけで伝染るほどの虫歯
334.くさやを奥歯に詰めたままディープキス
335.爪の間に垢を溜める
336.爪を噛むクセをなかなかやめない
337.トイレが異常に長い。ホントに異常に
338.おねしょが治らない
339.職員室でションベンをちびる
340.教室でウンコをもらす
341.自分のした大便を食べちゃう癖がある
342.犬のウンコを手づかみで投げつける
343.地面の雪を手当たり次第にほおばる
344.ぬいぐるみに発情
345.大事にしていたぬいぐるみが下痢気味の便まみれ
346.ゲロで汚れたズボンのにおいをかがせる
347.みそ汁につばを吐き入れる
348.肉ジャガに鼻毛混入
349.スパゲティの中にフケを落とす
350.痰をオカズに白飯を食う
351.自分のケツ毛を相手のほっぺに植毛
352.生理用ナプキンで湯上がりの身体を拭う
353.使用済みコンドームを鍋の具に
354.ストリーキング
355.ストーカーになる
356.自分専属のストーカーを雇用して恋人と競わせる
357.酒乱
358.クスリに溺れる
359.賭け麻雀に溺れる
360.飲む打つ買う。三拍子揃ったプレイヤー
361.ニワトリを頭からムシャムシャ
362.小指を送りつける
363.葬式ごっこ
364.そっと背中を押してあげる(駅のホームで)
365.熱々おでんを押し付ける
366.スーパーボールをぶつける
367.いきなりカンチョー
368.昇竜拳
369.波動拳
370.ハメ技で圧勝
371.ルールを教えず初心者と将棋対局
372.王将一枚だけ残してねちねちいびる
373.包丁を突き付けながら就寝
374.断髪式と称して無断で髪を切る
375.放火
376.飲み物に目薬を垂らす
377.毒物混入
378.殺し屋を雇用
379.愛撫には紙やすりを使用
380.噛みちぎる
381.まぶたを切り落とす
382.根性焼き
383.土手焼き
384.ギターで脳天叩き割る
385.ハイヒールで目玉を踏み潰す

 得意分野の想像力を総動員してもなお、目標の数には100以上も足りない。ダメだ。もうダメだ。俺の負けだ。プロレス技を並べて誤魔化すしかない…。

386.アッパーカット
387.浴びせ蹴り
388.アリキック
389.エルボースマッシュ
390.延髄斬り
391.空手チョップ
392.キチンシンク
393.ギロチンドロップ
394.ケンカキック
395.ケブラドーラ・コン・ヒーロ
396.サマーソルトキック
397.地獄突き
398.シャイニングウィザード
399.ストンピング
400.セントーン
401.ダイビングボディープレス
402.天山チョップ
403.毒霧
404.トペ・コンヒーロ
405.ドロップキック
406.脳天唐竹割り
407.ピープルズエルボー
408.フライングクロスチョップ
409.プランチャ・スイシーダ
410.ヘッドバット
411.ミサイルキック
412.ムーンサルトプレス
413.モンゴリアンチョップ
414.ラ・ケブラーダ
415.ラリアット
416.ローリングソバット
417.一本背負い
418.ウラカン・ラナ
419.裏投げ
420.エメラルドフロウジョン
421.オクラホマスタンピート
422.カーフブランディング
423.河津落とし
424.キャプチュード
425.キン肉バスター
426.キン肉ドライバー
427.クルックヘッドシザース
428.ジャーマンスープレックス
429.ジャイアントスイング
430.シュミット式バックブリーカー
431.タイガースーパースープレックス
432.タイガードライバー
433.ドラゴンスープレックス
434.フィッシャーマンズスープレックス
435.チョークスラム
436.DDT
437.ドラゴンスクリュー
438.ノーザンライトスープレックスホールド
439.パイルドライバー
440.バックドロップ
441.パワースラム
442.パワーボム
443.フェイスクラッシャー
444.フランケンシュタイナー
445.ブレーンバスター
446.フロントネックチャンスリードロップ
447.ボディスラム
448.魔神風車固め
449.マンハッタンドロップ
450.モンキーフリップ
451.アームブリーカー
452.アームロック
453.アイアンクロー
454.アキレス腱固め
455.足四の字固め
456.アルゼンチンバックブリーカー
457.腕ひしぎ逆十字固め
458.STF
459.カナディアンバックブリーカー
460.監獄固め
461.逆エビ固め
462.キャメルクラッチ
463.コブラツイスト
464.サーフボードストレッチ
465.三角絞め
466.スコーピオンデスロック
467.ストラングルホールド
468.ストレッチプラム
469.スピニングトーホールド
470.スリーパーホールド
471.チキンウイングフェイスロック
472.ドラゴンスリーパー
473.ナガタロック
474.ネックハンギングツリー
475.羽根折り固め
476.腹固め
477.ヒールホールド
478.膝固め
479.ベアハッグ
480.卍固め
481.弓矢固め
482.リバースインディアンデスロック
483.ローリングクレイド
484.ロメロスペシャ
485.脇固め

 このままプロレス技で最後まで行くのはさすがにためらわれる。ポール・サイモン『恋人と別れる50の方法』にちなんで、歌を利用した嫌われ方を書こう。ああアアああ。

486.ドライブ中、同一曲を3時間リピート
487.楽しいことがあるとすぐ春日八郎『お富さん』を口ずさむ
488.高級レストランにて放歌高吟
489.相手が微笑んだら『蛍の光』をヤケクソで絶唱
490.相手がまじめな話を始めたら『サライ』を歌って対抗
491.エンドレスで『北の国から』をリピート(相手の呼びかけは無視)
492.渋谷のド真ん中で『完全無欠のロックンローラー』熱唱
493.池田聡の『恋人と別れる50の方法』最高
494.関白宣言
495.淡泊宣言
496.わんぱく宣言
497.蛋白反応宣言
498.ワンセグ宣言
499.ポツダム宣言
500.500達成に伴うやるせない自己嫌悪

 筆を擱く。
 ぐったりと憔悴し、俺は椅子の背もたれに頭をうずめた。やりきった。やりきったぞコンチクショウ。邪道と言われようが気にしない。恋人と別れる500の方法を書き切ったぞ。このうちのいくつかを組み合わせて実行すれば、合わせ技一本できっと別れられるだろう。
 しばし休んだのち頭を起こす。ケータイを掴む。俺は「11.電子メールで」と「207.暗い過去を捏造して打ち明ける」を選んで実行することにした。それから念のため、エッセンスとして「126.容貌を蔑む~131.サイズをせせら笑う」も混入することにした。バッチリだろう。嫌われること間違いなし。これであのオソロシーオンナと決別できる。
 しかし。
 メールを作成しているその真っ最中、ケータイが不吉に震えた。恋人からのメール着信だった。先手を打たれた。その、メールの本文…。
「抱け。さもなくば殺す」
 俺はケータイを閉じ、泡を食って家を飛び出す。彼女のアパートに急行する。
 別れられない。

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6.瓦斯事件

 緒実充三は名探偵気取りの見習いコックである。蟻に似た顔の彼は、甘ったるい物に目が無い。
 ある晴れた秋の日だった。近所の喫茶店へ出かけた彼は、激甘お汁粉を飲んでご機嫌だった。そんな時、その事件は起きたのである。
 のんびり過ごしていると、数人の客が騒ぎ始めた。喫茶店のどこかで異臭が発生、店内全域に毒ガスが蔓延しはじめているという。程無く、鼻孔を刺激する臭いが緒実にも認知された。
 客は互いに不審がるように成った。何て悲しい事だ!疑心暗鬼の状態の儘では誰も楽しく食事をする事が出来ない!
 探偵魂に着火して来た緒実は、客達に当たり前な事(「犯人はこの中に必ずいる」)を宣言し、推理した。
 容疑者は七人。
 眼鏡をかけたビジネスマンが第一容疑者だ。事件直前、彼は咳払いをした。風邪を引いているのか、消音の為か。
 次に、裕福な外国人。店の中央席で新聞を見ていたから、犯人なら臭いは広範囲に届く。
 窓際の女は「私が犯人の訳ないでしょ!全く、失礼な人ね!貴方だって私から言わせれば怪しいわ」と、全面的に犯行への関与を否定した。だが事件直前、表通りの景色を眺めようと、さりげなく尻を上げた。
 熱々な男女も怪しい。なぜなら、いも料理を摂取していたからだ。
 ボーイも容疑者だ。彼だけは店内を歩き回っているので、毒ガス散布が容易なのである。
 一番怪しいのはブ男だった。カッコがみすぼらしくて、客達全員から疑惑の視線、無言の非難を受けていた。
 それに気付いた緒実は、ブ男の弁護を始めた。
「君達、他人を外見だけで決めるな。時間をくれ。真犯人は、必ずこの俺が突き止める!」
 推理途中、緒実は激甘お汁粉のあの味が恋しくなった。甘い菓子を摂取する事で緒実の脳髄は或る部分を覚醒させ、強くなるのだ。糖分が多ければ多い程、緒実の推理能力はその強度を増す!
 緒実は静かに皆へ語り始めた。
「わからん。知るは神のみ。神に頼るしか、もう方法が無い。」
 皆は「彼の脳は推理しすぎで壊れたのであろう」と思った。しかしあなた方(読者)は知っている、彼が名探偵だという事を。
 名探偵気取りは続ける。
「犯行は残虐且つ非道、普通の人間には不可能な行為だ。神はこう宣われている。緒実よ、この小説の十三文字目をいやでも根気よく順に拾っていってみろ。答えが出る」
 緒実ぱ『瓦斯事件』なる小説を取り出し、砂糖を舐めながら読み始めた。容疑者は皆彼のする奇行を静かに見守った。
 ぼろぼろのむし歯に成りながら、元来は弱い筈の頭を酷使しながら、緒実は言葉共と戦い、真実を探求した。なんて男だ!かっけー!(文字稼ぎだ)
 彼は「神よ。句読点やかっこも、一文字に含むのでしたね」等と時折呟きつつ、その小説を読み終わった。
 読んでから「わかったぞ!貴様だあ」と叫んで、犯人を捕まえると、彼はそのまま絶命した。チーン。犯人は誰でしょ?

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7.五七五事件

「犯人は北鎌倉の香取哉」
 夏休み前日、二松学舎高に転校する森が黒板に記した。五月七日林間学校事件の鍵と書き添えて。
 おぞましい事件だった。くさいなあと思い窓から庭を見ると、白だったはずの布団が土色に染められ紙と共に遺棄されてたのである。飯を戻す者も居るほどの強烈な臭いだったし色も兇悪だった。布団に対し弔辞を読み上げた思い出が偲ばれる。この忌むべき惨事を引き起こした犯人は声明文を出さず、真相は闇の中だった。
「やつは誰の仕業か知っていたのか?」
 浮かれていたクラスは一瞬にして平和から混乱へ陥った。「犯人が布団を運ぶ場面を森は目撃したが、バラすなと父親に止められて今まで言えなかったのでは」などの憶測が飛び交う。皆の背中に汗が伝う。
 若き日の探偵・緒実が真相解明に乗り出した。
「犯人は、きっとこの俺が突き止めてみせる! みんな、勇気ある森の告発を、ムダにしちまうな!」
 けれど同級生は緒実をたよりになどしていなかった。「悲しい時~」であった。
それでも森の遺志を代弁する積で推理を箇条書きにした。
※ 香取という生徒は存在する。
 だが、以前から不登校で林間も欠席。犯人に上げられず
※ わかったぞ! 「北鎌倉」の「か」を取って「北枕」だ! あの日歌川が北枕で寝てた!
 しかし、歌川にはアリバイがある
※ 北枕→ 縁起悪い→ くそ演技をする演劇部か
 該当者無し
※ つまり大根、足?
 女子全員該当
※ まさか 香取→ 蚊取線香→ 先公の犯行? 刑事ぶって捜査してたのは偽装か
 緒実は困り果てた。どれも決め手に欠けてしまう。
「結局、誰が犯人かわからない。たぶん、また小説の文字を拾うんだな。面倒くせえ。今回は57517字」

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8.パパと結婚するんだよね?

「ミムちゃんは、大きくなったら何になりたいのかな。お嫁さん。そう、お嫁さんか、無邪気でいいね。あのね、ミムはね、大きくなったらね、あのね、パパのお嫁さんになるの。そう、パパのお嫁さんになってくれるのかい。そう、パパと結婚するの。うれしいなあ。パパとね、結婚して、ウエイングドレスを着るの。はははははウェディングドレスかい、きっときれいだろうなあ。ミム、パパのことが大好き。ありがとう、パパもミムのことが大好きだよ、ほら、キスして。うん。おくちにも、ほら。うん。ミムちゃんは、本当にお嫁さんになりたいかい。うん。絶対に、パパと結婚したいかい。うん、そうだよ。どんなことがあっても、そう? うん。じゃあ、あと十年したら、結婚しよう。 。どうしたの、いやなのかい。今。え。今。今? お嫁さんになりたい。今お嫁さんになりたいの、そうか。うん。でも、ミムちゃんはまだ子どもだからダメだよ。えー。いいかい、十年経って、ミムちゃんが十六歳の誕生日をむかえたら、そしたら結婚しよう。ミムそんなに待てない、十年したらおばさんだよ。ハハハませたクチを聞くね、だいじょうぶ、ミムちゃんがおばさんになってもパパはミムちゃんのことが大好きだよ。ほんとうにー。本当だよ、ミムちゃんも、パパをいつまでも好きでいてくれるかい。うん。約束だよ。やくそく。じゃあ、指切りげんまんしよう、ゆーびきーりーげーんまん、うそついたらハリセンボン飲ーます、ゆーび切った、さ、これで約束だからね、ちなみにこれ、録音してるから。ろくおん? そう、録音、動かぬ証拠ってやつだよ、もしもミムちゃんが途中でイヤになっても、もう、未来は動かすことができないんだ。ん。ミムちゃんはまだちっちゃいからよくわからないかも知れないけど、契約を破棄されないように証拠を掴んでおく必要があるんだ、わかるね。よくわかんない。そうかもね、でも、これでもう、パパとミムちゃんが結ばれることは保証されたわけで、もし万が一ミムちゃんが他の男を好きになっても絶対にパパと結婚しなきゃいけないんだよ、ミムちゃん、パパと結婚したいんでしょ。うん。パパのお嫁さんになりたいんだよね。うんそうだよ。絶対だね。そうだってば、なんで何度も聴くの。後悔しないでね、ふふ。こうかい? あとになって、あんなことやめておけばよかった、やらなきゃよかったって思うことだよ。ふうん。パパ以外の男を好きになるのは許さないからね、ミムちゃんはパパが世界で一番好きだろ。ミム、パパが一番好きだよ。いい子だ、よしよし、ほら、おくちにキスして、よしよし、ミムちゃんは本当にかわいいね、ずっと一緒だよ、後悔したってもう遅いからね、録音したからね、念のためもう一度聞くよ、ミムちゃんは、十六歳の誕生日に、パパと結婚します、返事は。うん。よし、もしもそれを拒絶するようなことがあったら、何をされても文句は言えません、返事は。うん? うんて言ったね、うんて言った。うん…。よしよし、録音したからね。」
 観夢。十六歳の誕生日おめでとう。このテープ、覚えてるかな。観夢とパパは、今でも血のつながった親子だけど、法律的にはもう親子じゃないから、結婚することができる。観夢はパパのお嫁さんになるんだろ。夢をかなえてあげるよ。結婚しよう。
 怖がることはないよ。観夢はパパが世界で一番好きなんだろ。観夢はパパが大好きなんだろ。パパも観夢が大好きだよ。大好き同士なんだから、もっと言えば愛し合ってるんだからさ、きっとうまくいくよ。うまくいかないはずがないよ。大好きだよ、観夢。観夢もパパが大好きだね。じゃあ問題ないね。愛し合ってるふたりが結婚するのは当然だもんね。心配することは何もないよ。何もないじゃないか。ふふ。どうしたの。怖がることはないったら。何も。何も怖くない。パパ、絶対に観夢を幸せにしてみせる。観夢もパパを幸せにしてよ。ね。いいかい。すてきなパートナーシップの始まりだよ。パパ、今までとっても不幸せだったんだ。さびしかったんだよ。さびしいんだ…。観夢、パパを幸せにしてよ。幸せにしてよ!
 今日はおまえの十六歳の誕生日。この日をどんなに待ち望んだことか。待ち侘びたよ。この十年間、おまえは知らないだろうけど、パパ大変だったんだぞ。おまえに悪い虫がつかないかどうか必死に見張ってたんだ。雨の日も風の日も、雪の日も。ずっとおまえの後ろ姿を見守っていた。その苦労も、すべて今日のためだと思えば、わけはない。お礼を言う必要はないよ。いいっての。そんな照れなくていいっての。だって、観夢とパパは恋人同士だろ。このくらい当たり前だって。しかしなあ、おまえ、中学の時、おまえがおかしな男になびいた時はパパびっくりしたぞ。ひやひやした。正直嫉妬したよ。いいいい何も言うな何も言うな。たぶらかされたんだよな。一時の気の迷いだったんだよな。別に本気で好きになったわけじゃないもんな。観夢が好きになる男はこの世でパパ一人だけだもんな。わかってるよ。わかってるわかってる。何も言わなくていいよ。あいつと観夢を引き離すのはそりゃあ大変だった。観夢も完全にあいつにだまされてたからなあ。でも、安心して。あいつは、悪魔はもういないんだ。パパが退治してあげたんだよ。安心して。とっても大変だったけどね。感謝してほしいなあ。でも、しなくていいからね。当然のことをしたまでだから。だってパパには観夢を一生守る義務があるんだからさ。観夢はパパのお嫁さんなんだからさ。
 喜んで。パパは観夢をずうっと離さないよ。離さない。決してね。観夢もパパから離れちゃダメだよ。ね。わかってるよね。もし逃げようとしたら…まあ、逃げるわけないだろうけど。だって観夢はパパと結婚するって誓ってたもんね。絶対に約束を守るって言ってたもんね。証拠もあるもんね。ね。でもまあ、万が一にでも逃げようとしたら、わかってるね。中学の時のあのおかしな男と今さら一緒になりたくないだろ。な。あの糞野郎と。文句は言えないよ。だって、十年前にほら、もう一度テープを聞いて、こうしてしっかり約束してるんだからさ。確認しておくよ。拒否したりしたら、わかってるよね。いい子だ。

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9.The Late Great Johnny L.

 ボブ・ディランは一緒にマリファナを吸った。

 キース・ムーンは一緒に酒を呑んだ。

 エルヴィス・プレスリーはグレイスランドでコケにされた。

 フランク・ザッパはギターで参加した。

 ダリが落書きの個展にわざわざ出向いた。

 フィル・スペクターがレコーディングに招聘された。

 桑田佳祐は『勝手にシンドバッド』を褒められた。

 ハリー・ニルソンの『ユー・キャント・ドゥー・ザット』は1日ぶっ続けで聴かれた。

 加山雄三は背後から眼を覆われた。

 スチュアート・サトクリフは頭部に蹴りを食らった。

 身体障害者は馬鹿にされた。

 ブライアン・ジョーンズはスピーカー付きのロールスロイスで「ブライアン、おまえを逮捕する」と言われ慌てふためいた。

 ノーマン‘ハリケーン’スミスが歌手としてデビューをし、全米ナンバーワンヒットを獲得したとき、一番最初に祝電が届けられた。

 キリスト教徒が弾劾した。

 メガネはアイドル時代、公の場では掛けてもらえなかった。

 気に入られていなかった声は、あらゆる手段によってその声質を変えられた。

 MBE勲章は返還された。

 バルセロナがカーニバル・オブ・ライトというイベントに提供したアヴァンギャルドな楽曲の中で連呼された。

 ラジオから流れる『リア王』の朗読劇が取り入れられた。

 「おがくずの匂いがするような音」にしようと思ったが結局遊園地のメリーゴーランドのような音になった。

 ハシゴが踏まれ、YESの文字が虫眼鏡で覗かれた。

 ヌード写真を使用したアルバムジャケットは茶色い紙に包まれて店頭に並んだ。

 邪推をした報道陣が新婚夫婦のベッドインに殺到した。

 各国の首脳はドングリを送られた。

 FBIが監視した。

 バミューダ諸島で嵐が遭遇した。

 マーク・チャップマンが拳銃から5発の銃弾を発射した。

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10.パワーズオブテン

  0
     ……この光景を1メートルの正方形で囲み、10秒ごとに10倍ずつ離れて見ていくと視界は10倍ずつ広がっていくことになる。
     10メートル四方の広さ。10秒後に正方形はこの10倍になる。(略)
     100メートル四方。人間が10秒で走る距離。ハイウェイの車や停車中のボート、カラフルな競技場が見える。
     1キロメートル四方。レーシングカーが10秒で走る距離。湖畔の大都市が現れる。
     10の4乗、1万メートル四方。超音速ジェット機が10秒で飛べる距離。ミシガン湖の一端、そして湖の全景。
     10の5乗、人工衛星が10秒で横切る距離。長い紐状の雲が見える。
     10の6乗、100万メートル四方。1の後にゼロが6つ。
     ほんの1分ほどで我々は地球全体を見るまでになった。
          ──チャールズ&レイ・イームズの映像作品『パワーズ・オブ・テン』より。

  1
 一人のソルジャーがライフルを構えている。
 全身に光沢があり、所々で白く光を反射している。あご紐付きのヘルメットを被っている。大きな胸ポケットが左右についたアーミージャケットを着ている。ズボンにもたくさんのポケットがついている。通常のポケットの他、尻に二対、腿に二対、脛にも二対。それぞれ何が入っているのかはよくわからないが、おそらく、サバイバルナイフや万能ナイフの類が数本ずつ、予備の弾丸、通信機器、強靭なロープ、ロープの先に取り付けるフック、方位磁針、防水紙製の地図数葉など、すぐに取り出す必要のある物が入っているのだろう。服の上からで見えないが、左腕には防水対衝撃の腕時計をし、胸の辺りには首からぶらさげたドッグタグが光っているに違いない。重そうな背嚢には、寝袋、食糧品の他に、タバコやチューイングガムなどの嗜好品や、ランプ、固形燃料数個、タバコを吸うための喫煙具──ライターやオイルや灰皿など──、猥褻な物も含む雑誌数冊、彼がキリスト教徒だとしたら聖書なども入っているかも知れない。
 彼の立つ地面には木の板のような巨大な木目が見える。ライフルで何を狙っているのかはわからない。表情は暗く、まるで生きていないような無気力な顔だ。弾丸は発射されているように見えないが銃撃の最中のようだ。相手は人か獣か。いずれにせよ、視線の先をどこか一点に集めている様子から察して、銃口を敵に向けて交戦中に違いない。


  2
  3
 この大きい樟の木の梢。尻っ尾の長い猿が一匹、ある枝の上に坐ったまま、じっと遠い海を見守っている。海の上には帆前船が一艘。帆前船はこちらへ進んで来るらしい。
  4
 海を走っている帆前船が一艘。
  5
 この帆前船の内部。紅毛人の水夫が二人、檣の下に賽を転がしている。そのうちに勝負の争いを生じ、一人の水夫は飛び立つが早いか、もう一人の水夫の横腹へずぶりとナイフを突き立ててしまう。大勢の水夫は二人のまわりへ四方八方から集まって来る。
  6
 仰向けになった水夫の死に顔。突然その鼻の穴から尻っ尾の長い猿が一匹、顋の上に這い出して来る。が、あたりを見まわしたと思うと、たちまちまた鼻の穴の中へはいってしまう。
  7
 上から斜めに見おろした海面。急にどこか空中から水夫の死骸が一つ落ちて来る。死骸は水けぶりの立った中にたちまち姿を失ってしまう。あとにはただ浪の上に猿が一匹もがいているばかり。
  8
 海の向うに見える半島。
  9
 前の山みちにある樟の木の梢。猿はやはり熱心に海の上の帆前船を眺めている。が、やがて両手を挙げ、顔中に喜びを漲らせる。すると猿がもう一匹、いつか同じ枝の上にゆらりと腰をおろしている。二匹の猿は手真似をしながら、しばらく何か話しつづける。それから後に来た猿は長い尻っ尾を枝にまきつけ、ぶらりと宙に下ったまま、樟の木の枝や葉に遮られた向うを目の上に手をやって眺めはじめる。
 と書かれた見開きのページをぱっくり開いたまま、『芥川龍之介全集6』が机に置いてある。ちくま文庫第9刷の256ページと257ページで、『疑惑』というシナリオの第2章から第9章の全部分である。その傍にはライフルを構えたソルジャーのプラモデルが一体。6分の1スケールで、高さは30センチメートルほどある。全身に光沢があり、所々で白く光を反射している。あご紐付きのヘルメットを被っている。大きな胸ポケットが左右についたアーミージャケットを着ている。ズボンにもたくさんのポケットがついている。通常のポケットの他、尻に二対、腿に二対、脛にも二対。
 彼の立つ机は樫材で作られており木目が美しい。よく磨き上げられており、つやつやの表面に昼の光を帯びている。


  3
 机の手前側には今見た通り、ライフルを構えるソルジャーのプラモデルと、その足下に『芥川龍之介全集6』が開かれている。 机の周辺部には乱雑に物品が積み重ねられている。左側には大型本が積み重ねられており、下からそれぞれ類語辞典古語辞典・英和辞典・ザ・リアル・フランク・ザッパ・ブック・ジャン=ジャック・ルフラン・ド・ポンピニャンのディドン・ウォーリーを探せ!・サルバドール・ダリの画集・仏語辞典・モンティ・パイソンズ・ビッグ・レッド・ブック・フィネガンズ・ウェイクⅢ・Ⅳ・バカドリル・パブロ・ディエゴ・ホセ・フランチスコ・ド・ポール・ジャン・ネボムチェーノ・クリスバン・ クリスピアノ・ド・ラ・トリニダット・ルイス・イ・ピカソの画集・国語辞典が裏表や向きも不規則に、机の側壁を成している。机の右側にはアイワ製のCDコンポ。ラジオやカセットテープも聴く事が出来る。停止ボタンは正方形、再生ボタンは右向きの二等辺三角形で表されている。早送りボタン・逆戻しボタンはそれぞれ右向きもしくは左向きの二等辺三角形が横に二つ並んだ形象で表されている。音量の調整はプラスとマイナスの刻まれたボタンで行なう。CDコンポの手前にはまず菊判のもう一冊の国語辞典が置いてあり、その上にはレシートが数枚と、折り目が摩耗した動物園のパンフレットがある。CDコンポの左隣には小型の木箱で作られた筆立てがあり、鉛筆三本(そのうち一本は削られていない新品)・シャープペンシル三本・黒のボールペン二本・赤のボールペン・三色(赤青緑)ボールペン・フェルトペン・サインペン・スティック型の消しゴム・耳かき・柄部分の布が剥離した土産用の十手・カッターナイフ・ハサミが詰め込まれている。


  4
 部屋の南は日当たりの良い狭いベランダに出られる大型の窓。晩夏の夜になると虫たちが美しい合奏を響かせる空き地に面している。かつて真っ白だった壁は今ではタバコのヤニで朽葉色に汚れている。ポスターの貼ってあった場所だけが白く汚れず残っている。
 床は板張りで絨毯が敷いてある。部屋の南には窓に面したベッドとソファ。部屋の北には乱雑に積み上げられた本やCDコンポが置かれた机と、コート掛け。西側にはテレビ台と洋服箪笥と本棚。本棚に並んでいる書物の背表紙をざっと列記すると、ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』、サルバドール・エリソンド『ファラベウフ』、小栗虫太郎黒死館殺人事件』、イタロ・カルヴィーノ『冬の夜ひとりの旅人が』、カンパネッラ『太陽の都』、ルイス・キャロル不思議の国のアリス』、レーモン・クノー『文体練習』、フリオ・コルタサル『石蹴り遊び』、ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』、マルキ・ド・サド『ソドム百二十日』、シャルム・ジェルミナール『キマイラの覚醒』、アルフレッド・ジャリ『ユビュ王』、ハラルト・シュテュンプケ鼻行類』、ジェイムズ・ジョイスユリシーズ』、シオドア・スタージョン『ヴィーナス・プラスX』、ロレンス・スターン『トリストラム・シャンディ』、オラフ・ステープルドン『スターメイカー』、ルイージ・セラフィニ『コデックス・セラフィニアヌス』、マーク・Z・ダニエレブスキー『紙葉の家』、筒井康隆虚人たち』、P・K・ディック『ヴァリス』、ユゴー・ヴェルニエ『冬の旅』、中井英夫『虚無への供物』、ウラジミール・ナボコフ『青白い炎』、沼正三家畜人ヤプー』、ミロラド・パヴィッチ『ハザール辞典』、萩原恭二郎『死刑宣告』、ドナルド・バーセルミ『死父』、ホセ・エミリオ・パチェーコ『メドゥーサの血』、ウィリアム・バロウズ裸のランチ』、T・R・ピアソン『甘美なる来世へ』、トマス・ピンチョン『V.』、コランド・プランシー『地獄の辞典』、マルセル・プルースト失われた時を求めて』、ニコルソン・ベイカー『中二階』、アルフレッド・ベスター『ゴーレム100』、ヴィクトル・ペレーヴィン『恐怖の兜』、ホフマン『牡猫ムルの人生観』、ガブリエル・ガルシア・マルケス百年の孤独』、夢野久作ドグラ・マグラ』、スタニスワフ・レム虚数』、ロートレアモン伯爵『マルドロールの歌』、アラン・ロブ=グリエ『反復』。


  5
 二階建ての一軒家。築30年を経過した日本家屋である。
 玄関は西に面している。沓脱には2足のスニーカー、パンプス・革靴・サンダルが1足ずつ置かれている。北側に設置された下駄箱には長靴・ハイヒール・登山靴・ビーチサンダルが収納されているほか、ビニール傘2本・黒い傘1本・茶色い傘1本・ピンクの傘1本・赤い傘1本・折り畳み傘3本、そして靴墨や靴磨きが常備されている。下駄箱の側面には靴ベラがフックに掛けられている。傍らの傘立てには傘ではなく虫取り網が立っている。南側には縦に長い鏡が設置されている。上り口を上がって左がトイレ。トイレの壁には銀行でもらったカレンダーと、デパートのおもちゃ売り場で購入した元素周期表が貼られている。上り口の右にはスリッパ入れがあり、スリッパ入れの上には固定電話とタウンページとメモ帳とガラスケース入りの日本人形が置かれている。
 上り口から東に廊下が伸びており、その突き当りはダイニング・キッチンである。ダイニング・キッチンと書けばオシャレな感じがするが実際には台所兼食堂と書いた方が的確と思われるくたびれた8畳である。長方形の食卓その長辺を東西に配し、北側の椅子2脚が家父長と長男の席、南側の椅子2脚が祖父母の席、西側の席が長女の席、東側の席が母の席である。北側にガラス戸を閉てた食器棚があり、大小各種の皿・お茶碗・汁椀・箸8膳・湯呑み・ガラスのコップ・コーヒーカップが収められている。東側には冷蔵庫と収納棚があり、収納棚の曇りガラスの向こうには各種の調理器具たとえば鍋・中華鍋・フライパン・包丁・おたま・泡立て・ボウル・ざる・おろし金がしまわれているほか、電子レンジ・電気ポット・炊飯器などの家電が据えられている。冷蔵庫の扉には動物をデフォルメしたマグネットが3つ貼られているほか、上手に剥がせなかったキャラクターシールの跡がありありと残っている。南側には流しとガス台があり、流しには水の張られた盥の中に平皿が3枚浸かっている。台所の南西には勝手口があり、三和土には突っ掛けサンダルが1足、扉には神社の札が貼られている。
 台所の西、そして廊下の南にあたる一室は12畳の和室で、この家に住む6人家族のリビングとなっている。畳の一部には電気カーペットが敷かれており、さらにその上には布団を除いたコタツが置かれている。コタツの東には座椅子があり、祖母はここで日がな一日ラジオを聴いて過ごす。部屋の北にはクローゼットがあり、この中にはスーツ・ワイシャツ・コート・20本以上のネクタイが収蔵されている。西側の押入れには布団が4組入っているが実際の使用に供されるのはそのうちの1組だけで他は全て来客用だ。南西にはテレビが置かれている。部屋の南は濡れ縁で、10坪ほどの庭に面している。
 台所の北、日当たりの悪いもう一つの和室は祖父の部屋で、押入れ・箪笥・本棚がある。
 廊下の北には洗面所と風呂があり、洗面所には洗濯機が設置されている。風呂の北側には窓があるが開けても眺望は最悪で、隣接する病院の白い壁が見えるだけだ。
 2階に通じる階段はトイレと洗面所の間に位置しており、それを上れば2部屋──子ども部屋と、夫婦の寝室兼書斎がある。


  6
 二階建ての一軒家、青色の瓦がぴかぴか光を反射している。その南は10坪ほどの庭で、南東に稲荷の社と物置がある。この庭は、目の前を流れる川が氾濫する際に備えて1メートルほどの高台にある。郵便ポストのある門から6段ほど降りると屋根なしの駐車場があり、RVRタイプの自動車が停まっている。
 家の北には白塗りの整形外科病院があり、家の南は空き地である。家の西には川が北から南へと流れている。上流からの生活排水で緑色に濁っている。川と並行して一方通行の道路が南北に走っている。車の通行量は多くない。しかし近所の住人が徒歩もしくは自転車でしょっちゅう通行する。
 川の河口付近であり、500メートルほど南下すると海である。船溜まりには幾艘もの舟が停泊していて、周辺に住む漁師が貝や海苔を漁って生活している。
 一人の男がモーターボートから陸に上がり、北に向かって歩き始める。川沿いの道路をテクテク歩き始める。海の方からゆっくりと、しかし確実に北上してくる。上下を茶色で合わせたコーディネートで、しかも帽子や靴までも茶系の配色だ。
 全身茶色の男はやがて青い屋根の家に辿り着く。男は玄関の鍵を開け、中に入る。


  7
 ごみごみと住宅が密集しており、高層のマンションも数棟建っている。鉄道が通り、大きな国道と高速道路が走っている。野球場やサッカー場も見える。
 さらにズームアウトすればこの地域は巨大な半島の一部であり、川は湾に注いでいた。


  8
 海の向うに見える半島。
 画面の中で半島にズームする。拡大。やがて街が見えてくる。拡大。川に沿った道路が見えてくる。拡大。全身茶色の男が住む青い屋根の家が見える。
「目標補足。発射準備完了」
「カウントゼロで発射せよ」
「了解」
「5、4、3、2、1……」
「発射」
 発射スイッチを押した数秒後、整形外科病院と空き地の間に白煙が噴き上がる。
「作戦成功」
「帰還せよ」
「了解」
 作戦本部に漏れ聞こえないよう通信を終了し、副操縦士が操縦士に尋ねる。
「あいつにも、人生があった。それを思うとやるせなくならないか?」
「どうして」
「だってさ、あいつにだって親がいてね。きっと、手塩にかけて育てられたと思うんだ。食事を用意し、着るものを与え、学校に行かせて。恋もしただろう。もしかしたら、奥さんや子どもがいるかも知れない。それをさ、そういった人生の重みをさ、この一瞬、たった一発のミサイルで台無しにするっていうのはさ、なんともやるせない気分になるじゃないか」
「ならないね。だってあいつは、俺の人生にとってはほんの一瞬登場する通行人役に過ぎないもの。ランクとしては昨日食った魚と一緒だよ。おまえ、毎食ごとにおかずの一生をいちいち考えるか?」


  9
 前の山みちにある樟の木の梢。猿はやはり熱心に海の上の帆前船を眺めている。が、やがて両手を挙げ、顔中に喜びを漲らせる。すると猿がもう一匹、いつか同じ枝の上にゆらりと腰をおろしている。二匹の猿は手真似をしながら、しばらく何か話しつづける。それから後に来た猿は長い尻っ尾を枝にまきつけ、ぶらりと宙に下ったまま、樟の木の枝や葉に遮られた向うを目の上に手をやって眺めはじめる。


  10
 100メートル四方。人間が10秒で走る距離。ハイウェイの車や停車中のボート、カラフルな競技場が見える。
 1キロメートル四方。レーシングカーが10秒で走る距離。湖畔の大都市が現れる。
 10の4乗、一万メートル四方。超音速ジェット機が10秒で飛べる距離。ミシガン湖の一端、そして湖の全景。
 10の5乗、人工衛星が10秒で横切る距離。長い紐状の雲が見える。
 10の6乗、100万メートル四方。1の後にゼロが6つ。
 ほんの1分ほどで我々は地球全体を見るまでになった。

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11.阿蘭陀Language

どうかOranda Rangeと発音して下さい。


 小説に説明をしてはならないのだそうだが、うぬぼれは誰にもあるもので、この話でも万一ヨーロッパのどの国かの語に翻訳せられて、世界の文学の仲間入をするような事があった時、よその読者に分からないだろうかと、作者は途方もない考えを出して、行きなり説明を以てこの小説を書きはじめる。阿蘭陀流といえる俳諧は、その姿すぐれてけだかく心ふかく詞新しく、合い言葉はパクろうぜ!です。御存じであろうか? 御存じない。それは大変残念である。つれづれなるままに、日くらし、女もする日記というものを、男もしてみようと思って、するのである。この書き物を私はお前たちにあてて書く。
 岸本君――僕は僕の近来の生活と思想の断片を君に書いて送ろうと思う。然し実を言えば何も書く材料は無いのである。黙していて済むことである。こんな手紙を上げるのは、道理(すじみち)から言っても私が間違っている。けれど、私は、まだお前と呼ばずにはいられない。どうぞ此の手紙だけではお前と呼ばしてくれ。またこんな手紙を送ったと知れたなら大変だ。私はもうどうでもいいが、お前が、さぞ迷惑するであろうから申すまでもないが、読んで了ったら、直ぐ焼くなり、どうなりしてくれ。
 恥の多い生涯を送って来ました。僕は、僕の母の胎内にいるとき、お臍の穴から、僕の生れる家の中を、覗いてみて、「こいつは、いけねえ」と、思った。頭の禿げかかった親爺と、それに相当した婆とが、薄暗くって、小汚く、恐ろしく小さい家の中に、坐っているのである。だが、神様から、ここへ生れて出ろと、云われたのだから、「仕方がねえや」と、覚悟をしたが、その時から、貧乏には慣れている。
 私は五十年おふくろとつき合ってみたがまったく女というものはバカでこまるよ。そのバカなおふくろのおなかから生まれた私がどうしてバカでない道理があるものか? ザマア見ろ! てんだ。
 馬鹿な、馬鹿な! 貫一ほどの大馬鹿者が世界中を捜して何処に在る 僕はこれ程自分が大馬鹿とは、二十五歳の今日まで知……知……知らなかった。
 わっと泣き出して母にきつくかじりついた。母はそのまま立って子の顔を見ていたが「可笑しい子やないか、」と呟くと彼女の張り詰めた気力の糸が、ぶつりと切れたように、彼女はぐったりとなってしまった。やがてその手がばたり畳に落ちたと思うと、大いびきをかいて、その顔はさながら死人のようであった。
 これで自分と彼女との関係は一段落を告げた。三十六にもなって、子供も三人あって、あんなことを考えたかと思うと、馬鹿馬鹿しくなる。
 僕はその夕がた、あたまの労れを癒しに、井筒屋へ行った。それも、角の立たないようにわざと裏から行った。しかしそこで乃公は人を殺してしまった…それも憎い仇ならまだしもであるが、普段から弟のように親しんでいる源三郎をみごとに殺してしまった。
 本屋の二階だった。二十歳の彼は書棚にかけた西洋風の梯子に登り、新らしい本を探していた。モオパスサン、ボオドレエル、ストリントベリイ、イブセン、ショウ、トルストイ、……今や知識と美とを特権階級の独占より奪い返すことはつねに進取的なる民衆の切実なる要求である。岩波文庫はこの要求に応じそれに励まされて生まれた。
 大きな箱入りの札目録を、こごんで一枚一枚調べてゆくと、いくらめくってもあとから新しい本の名が出てくる。小説が好きで、国に居る時分から軍記物や仇討物は耽読していたが、突然どこから起ったか分らない好奇心に駆られて、すぐその一頁を開いて初めから読み始めた。中には恐るべき話が書いてあった。


 議員がしたことは決して許される種類のものではありませんが、あれだけ真面目な性格でクヨクヨ反省している様子を見ますとちょっと気の毒にも思えてくるそんな心優しいボクCameLieOnですコンバンワ。──いまだに自分の名前が読めません。カメ・ライオンなのかカメラ・イオンなのかケムリー・オンなのかキャメル・イーオンなのかカメリェオンなのかウガンダ・トラなのか皆目見当がつきませんCameLieOnですコンバンワ。
 いいですねー武部幹事長。一体どんな政治家だったのでしょうか。100年前の資料をもとに調べてみますよ。「調べてみますよ」なんて生意気を言ってしまいましたが、ボクの手元にある資料は古本屋で売られていた100円の本。やたら分厚いくせに情報量が不足していますし、信用に足る資料なのかどうか定かではありません。値段も心もとないのですがなにしろ題名が『わくわく21世紀!! 手に取るようにあの日がわかるわい』なので不安は一層濃くなるばかりです。
 この本の「政治家列伝」の章を閲覧してみます。
 ぶぶ、ぶぶ。
 あれ?
 ぶぶ、ぶぶ…。
 無いな。
 ぶぶ、ぶぶ…。
 おかしいな、いないなぁ。
 すみません。武部さんは無名らしく、載っておりません。ああ、まいったな、記事が書けないや…。しょうがないので、竹内平蔵について書いてみればいいんではないでしょうか。いいんでしょう。
 たけうち、たけうち…。
 あ!
 武部、「た」の項にいたよ! なんでだよ、なんだよこの本。やはり、所詮は100円のクズ本であります。


「何? え? カメレオン? え? カメレオンぢゃないか。生きてるの?」
 思い掛けないものの出現に面喰って、私が矢継早やに聞くと、生徒は「ええ」と頷いて、顔を赭らめながら説明した。極めての大胆と全くの無神経とは時によって一致します。
「馬鹿だ、こいつは」
 この言葉を聞くとはっと胸がとどろいた。変にくすぐったい気持が街の上の私を微笑ませた。丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう。
 不幸、短命にして病死しても、正岡子規君や清沢満之君のごとく、餓しても伯夷や杜少陵のごとく、凍死しても深草少将のごとく、溺死しても佐久間艇長のごとく、焚死しても快川国師のごとく、震死しても藤田東湖のごとくであれば、不自然の死も、かえって感嘆すべきではないか。
 「ドカン、ドカドカ、ドカーン」といったような不規則なリズムを刻んだ爆音がわずか二三秒間に完了して、そのあとに「ゴー」とちょうど雷鳴の反響のような余韻が二三秒ぐらい続き大きなまっ赤な火が燃されその黒いけむりは高く桔梗いろのつめたそうな天をも焦がしそうでした。争う色彩の尖影が、屈折しながら鏡面で衝撃した。一瞬ニシテ 全市街崩壊
 危険を冒して近寄ってみると、倒れているのは瘠せコケた中年男だが、全身紫色になった血まみれ姿だ。死があたかも一つの季節を開いたかのようだった。それを見たらおれは口が利けなかった、男が泣くてえのはおかしいではないか、だから横町のじゃがたらに馬鹿にされるのだ。何もかもいやになりゆくこの気持よ。思い出しては煙草を吸うなり。
 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。月日は百代の過客にして、行かう年も又旅人也。ポンポンポンポンと木魚の音がしています。窓の障子にあかりがさしていて、大きな坊主頭がうつって動いていました。あはれなり。人の上に人をおきなというなら、これでよかったのだ。
 ああ俺はもう生きて居られなくなった。友よ俺が書き残そうとした事は以上の事である。どうぞ俺を哀れんでくれ。
 文書はここで終って居た。字体や内容から見ても自分は金子の正気を疑わざるを得なかった。


 かの森鴎外によれば「小説に説明をしてはならないのだそうだ」という事ですが、あまりにも意味不明な小説を突き付けられて面食らった読者も多いでしょうから、少し弁明させて下さい。
 盗作品、もとい当作品『阿蘭陀Language(オランダ・ランゲ)』は、テクノやブレイクビーツなどのクラブミュージックにおいて用いられる音楽方法論「サンプリング」を、文章芸術の世界にも援用してみようと試みた前衛作品です。
 著作権の切れた小説・随筆群から素材となる文を手当たり次第に抜き出して来、素材それ自体は未加工のまま恣意的に繋ぎ合わせて再構成しました。俎上に上った作品総数は実に53作品。『河童』と『土左日記』からの抜粋を少し改変した以外は、私は一字たりとも創作していません。
 私はこの作品を、題名や手法からも察せられる通り、パクリで有名な某アーティストへ捧げようと思います。

<サンプリング元一覧>
 芥川龍之介『河童』
 森鴎外『百物語』/井原西鶴『三鉄輪』/Orange Range(『bounce』のインタビュー記事)/坂口安吾『風博士』/吉田兼好徒然草』/紀貫之『土左日記』/有島武郎小さき者へ
 島崎藤村『新生』(「岸本君」~「黙していて済むことである。」)/近松秋江『別れたる妻に送る手紙』
 太宰治人間失格』(「恥の多い生涯を送って来ました。」)/直木三十五『貧乏一期、二期、三期 わが落魄の記』
 辻潤『だだをこねる』
 尾崎紅葉金色夜叉
 宮本百合子『墓』/横光利一『父』(「母はそのまま立って」~「と呟くと」)/菊池寛真珠夫人』(「彼女の張り詰めた」~「ぐったりとなってしまった。」)/国木田独歩『疲労』(「やがてその手が」~「死人のようであった。」)
 田山花袋『蒲団』
 岩野 泡鳴『耽溺』/西田幾多郎『絶対矛盾的自己同一』(「しかしそこで」)/海野十三『不思議なる空間断層』/岡本綺堂『鳥辺山心中』(「それも憎い仇」~「源三郎を」)/鈴木三重吉古事記物語』
 芥川龍之介或阿呆の一生』(「本屋の二階」~「トルストイ、……」)/岩波茂雄『読書子に寄す』
 夏目漱石『三四郎』/二葉亭四迷『平凡』(「小説が好きで」~「耽読していたが、」)/夏目漱石彼岸過迄
 Camelieon『22世紀日記』(「議員が」~「クズ本であります。」)
 中島敦『かめれおん日記』/中里介山大菩薩峠』「甲源一刀流の巻」(「極めての大胆と」~「馬鹿だ、こいつは」)
 紫式部源氏物語与謝野晶子訳(「この言葉を聞くとはっと胸がとどろいた。」)/梶井基次郎『檸檬』
 幸徳秋水『死刑の前』
 寺田寅彦『小爆発二件』(「ドカン、ドカドカ、ドカーン」~「余韻が二三秒ぐらい続き」)/宮沢賢治銀河鉄道の夜』/横光利一『ナポレオンと田虫』(「争う色彩の尖影が、屈折しながら鏡面で衝撃した。」)/原民喜『原爆被災時のノート』
 夢野久作『爆弾太平記』/堀辰雄『聖家族』(「死があたかも一つの季節を開いたかのようだった。」)/樋口一葉たけくらべ』(「それを見たらおれは」~「馬鹿にされるのだ。」)/石川啄木『悲しき玩具』
 信濃前司行長平家物語』/鴨長明方丈記』/松尾芭蕉『おくのほそ道』/新美南吉『ごんぎつね』(「ポンポン」~「動いていました。」)/清少納言枕草子』/福沢諭吉『学問のスヽメ』(「人の上に人を」)/作者不詳『竹取物語』(「おきなという」)/幸田露伴『鵞鳥』(「なら、これでよかったのだ。」)
 村山槐多『悪魔の舌』

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12.阿蘭陀 Launguage 2

The editing technique is an extension of the composition ─Frank Zappa

 春の日のさした往来をぶらぶら一人歩いている。日比谷公園を歩いていた。重い外套にアストラカンの帽をかぶり、市ヶ谷の刑務所へ歩いて行った。看守さえ今日は歩いていない。空には薄雲が重なり合って、地平に近い樹々の上だけ、僅にほの青い色を残している。薄日の光を浴びて、水溜りの多い往来にゆっくりと靴を運んでいた。
 僕は路ばたに立ち止った馬車の側を通りかかった。馬はほっそりした白馬だった。僕はそこを通りながら、ちょっとこの馬の頸すじに手を触れて見たい誘惑を感じた。形は見すぼらしい痩せ馬でしたが、顔は夢にも忘れない、死んだ父母の通りでしたから。馬の目玉は大きいなあ。竹藪も椿も己の顔もみんな目玉の中に映っている。目はその間も繃帯をした少女の顔だの、芋畑の向うに連った監獄の壁だのを眺めながら。
 僕は坂を登りながら、僕自身も肉体的にしみじみ疲れていることを感じた。細い往来を爪先上りに上って行くと、古ぼけた板屋根の門の前へ出る。門をくぐると砂利が敷いてあって、その又砂利の上には庭樹の落葉が紛々として乱れている。いかにも荒れ果てているのです。墻には蔦が絡んでいるし、庭には草が茂っている。戸口へ来ないうちにくるりと靴の踵を返した。徐に踵を返して、火の消えた葉巻を啣えながら、寂しい篠懸の間の路を元来た方へ歩き出した。春のオヴァ・コオトの下にしみじみと寒さを感じながら、チュウイン・ガムばかりしゃぶっていた。
 行く路の右左には、苔の匂や落葉の匂が、湿った土の匂と一しょに、しっとりと冷たく動いている。その中にうす甘い匂のするのは、人知れず木の間に腐って行く花や果物の香りかも知れない。と思えば路ばたの水たまりの中にも、誰が摘んで捨てたのか、青ざめた薔薇の花が一つ、土にもまみれずに匂っていた。もしこの秋の匂の中に、困憊を重ねたおれ自身を名残りなく浸す事が出来たら――籐の杖を小脇にした儘、気軽く口笛を吹き鳴らして、篠懸の葉ばかりきらびやかな日比谷公園の門を出た。
 僕はコンクリイトの建物の並んだ丸の内の裏通りを歩いていた。すると何か匂を感じた。何か、?――ではない。野菜サラドの匂である。僕はあたりを見まわした。が、アスファルトの往来には五味箱一つ見えなかった。僕は勿論腹も減りはじめた。しかしそれよりもやり切れなかったのは全然火の気と云うもののない寒さだった。僕は往来を歩きながら、鮫の卵を食いたいと思い出した。
「生ミタテ玉子アリマス。」
 アア、ソウデスカ? ワタシハ玉子ハ入リマセン。
 僕は腹鳴りを聞いていると、僕自身いつか鮫の卵を産み落しているように感じるのです。僕は絶えず足踏みをしながら、苛々する心もちを抑えていた。僕は憂鬱になり出すと、僕の脳髄の襞ごとに虱がたかっているような気がして来るのです。
 金沢の方言によれば「うまそうな」と云うのは「肥った」と云うことである。例えば肥った人を見ると、あの人はうまそうな人だなどとも云うらしい。この方言は一寸食人種の使う言葉じみていて愉快である。
 あなたはこんな話を聞いたことがありますか? 人間が人間の肉を食った話を。いえ、ロシヤの飢饉の話ではありません。日本の話、――ずっと昔の日本の話です。あなたも勿論知っているでしょう。ええ、あの古いお伽噺です。かちかち山の話です。おや、あなたは笑っていますね。あれは恐ろしい話ですよ。夫は妻の肉を食ったのです。それも一匹の獣の為に、――こんな恐ろしい話があるでしょうか? いや恐ろしいばかりではありません。あれは巧妙な教訓談です。我々もうっかりしていると、人間の肉を食いかねません。我々の内にある獣の為に。
 里見君などは皮造りの刺身にしたらば、きっと、うまいのに違いない。菊池君も、あの鼻などを椎茸と一緒に煮てくえば、脂ぎっていて、うまいだろう。谷崎潤一郎君は西洋酒で煮てくえば飛び切りに、うまいことは確である。
 北原白秋君のビフテキも、やはり、うまいのに違いない。宇野浩二君がロオスト・ビフに適していることは、前にも何かの次手に書いておいた。佐佐木茂索君は串に通して、白やきにするのに適している。
 室生犀星君はこれは――今僕の前に坐っているから、甚だ相済まない気がするけれども――干物にして食うより仕方がない。然し、室生君は、さだめしこの室生君自身の干物を珍重して食べることだろう。
「そんなものを飲む人がいるの?」
「食いますよ。そいつにも弱っているんです。」
「僕は怖いんだよ。何だか大きい消しゴムでも噛んでいるような気がするからね。」
「さあ、御上り。生憎僕一人だが。」
「野蛮人よ、あの人は。」
「当り前じゃないか、妹もいるんだから。」
「そう思われるだけでも幸福ね。」
「そうですか? ほんとうにそんな傑作ですか?」
莫迦だね、俺は。」
 気違いの会話に似ているなあ。うすら寒い幌の下に、全身で寂しさを感じながら、しみじみこう思わずにいられなかった。
 酒盛りを開きました。その酒盛りの又盛なことは、中々口には尽されません。膝の上の新聞紙包みを拡げると、せっせと室生犀星君を噛じり出した。何処でも飲食する事を憚らない関西人が皆卑しく見えた。殊に丹前を二枚重ねた、博奕打ちらしい男などは新聞一つ読もうともせず、ゆっくり谷崎潤一郎君ばかり食いつづけていた。しかし彼は目じろぎもせずに悠々と室生君を食いつづけるのだった。どうして食ったと云うのですか? これは何も彼等の好みの病的だったためではない。わたしは何か興奮の湧き上って来るのを意識した。今更のように「人さまざま」と云う言葉を思い出さずにはいられなかった。
 何時までもその時の魚の匂が、口について離れなかった。
「ただ今お茶をさし上げます。」
 茶を啜りながら、話のついでにこんな問を発した。
「いかがです? お気に入りましたか?」
 が、口中の生臭さは、やはり執念く消えなかった。……
「やすちゃんが青いうんこをしました。」
 大腸加答児を起して横になっていた。下痢は一週間たってもとまる気色は無い。一体下痢をする度に大きい蘇鉄を思い出すのは僕一人に限っているのかしら?
「氷嚢をお取り換え致しましょう。」
「いえ、もうどうぞ。――ほんとうにお茶なんぞ入らないことよ。」
「じゃ紅茶でも入れましょうか?」
「紅茶も沢山。――それよりもあの話を聞かせて頂戴。」
「いろいろ伺いたいこともあるんでございますけれども、――じゃぶらぶら歩きながら、お話しすることに致しましょうか?」
 三十分の後、わたしは埃風に吹かれながら、W君と町を歩いていた。僕の胃袋は鯨です。コロムブスの見かけたと云う鯨です。時々潮も吐きかねません。
 わたしは黙然と歩き続けた。まともに吹きつける埃風の中にW君の軽薄を憎みながら。散歩を続けながらも、云いようのない疲労と倦怠とが、重たくおれの心の上にのしかかっているのを感じていた。

 以下に列記する芥川龍之介作品から文章を抜粋し、再構成しました。フランク・ザッパの言葉「編集テクは作曲の延長だ」の実践。全て芥川の文章の切り貼り。私は一字たりとも執筆していません。


春の夜
春の夜は
春の日のさした往来をぶらぶら一人歩いている
早春
杜子春

秋山図
東洋の秋
漱石山房の秋
漱石山房の冬

囈語
食物として
教訓談

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13.芥川賞

    一

     堀川の大殿様のやうな方は、これまでは固より、後の世には恐らく二人とはいらつ
    しやいますまい。
    ──芥川龍之介地獄変』より──

 堀川保吉が點鬼簿に加はつてから十年ほど經つた或夕べである。神田神保町の表通りに面したカツフエの二階は、平生通り「ゴルデン・バツト」の煙が濛々と立ち籠めてゐる。その、階段から最も奥まつた一角に、テエブルを挾んで向かひ合ふ二人の男があつた。
 一人は、年の頃は三十前後であらう、丸坊主の丸顔に丸眼鏡をかけた、如何にも滿ち足りた血色の良い男である。が、連れとの對面にどうも困つてゐるらしい。脂汗を拭ふやうにシルク製の手巾を頻りに使つてゐる。
 もう一人はどこか神経質らしい男で、蒼白い顔に不氣味な微笑を湛え、病的な眼差しの中に快活な光を傲然と輝かせてゐる。身なりからは若く感じられるが、顔は病魔に冒された老人のやうで、年齢は判然としない。
「姉崎くん、僕もたうたう芥川賞作家だよ。長かつた、實に長い一年だつた。」
「結構な事で。」
 姉崎と呼ばれた例の丸い男は、珈琲カツプを掻き混ぜながら、二の句を継げず苦しさうに呻いた。
「どうしたい。」
「いえ、何…。」
 姉崎はクルクルと囘轉する珈琲カツプの中をぢつと注視したまま默つてしまつた。
「君はまだ疑つてゐるのかい? 僕が芥川賞を受賞出来ないかも知れないつて。はゝゝゝ心配性だなあ。」
 隈の酷い目を爛々とさせて、神経質そうな男は哄笑した。
「僕には見えるんだ。作家連中が、僕の作品に驚嘆する情景が。命を削つて書いた作品集だもの、虚飾に綾取られた奴等の作品とは比べ物にならぬ位のリアリチィがある。」
「リアリチィ、ですか。」
「僕の作品には、現實が存在してゐるんだ。苦惱・祈り・諧謔。あれこそ、芥川先生以來の、全うな文學だよ。文學の在り得べき姿だ。」
 姉崎は訝しげに眼鏡を直して見せた。
「一寸失禮…。」
 男は急に恐ろしさうな色を浮かべ、黒鞄を弄つた。護謨のチユウブと一本の注射器を取り出した。
「またパビナールですか…。官兵に見付かつても知りませんよ。」
 男はチユウブの端を銜えながら、姉崎を鋭く睨んだ。姉崎は沈黙するより他に仕方がなかつたに違いない。男の血走つた目は、狂人のそれと撰む所がなかつたのである。
 男は端を銜えたままチユウブを左腕にきつく巻いた。注射器を手にすると、分量を調整するため、先端から汐のように薬液を吹かせた。
 男は必死だつた。地獄の鬼に責め立てられる亡者のやうに、この作業を一刻も早く成就して苦悶から免れんとしてゐる。のみならず、極楽浄土の秘密の快楽に身を委ねやうとする欲求もあるらしい。締め上げられて青黒く浮かび上がつた血管に、震へる手で危なつかしく針を刺した。
 その直後、釈迦の懐にて禁断の秘術を施される快楽を覚えたやうに、さも愉快さうに口角を歪めた。虚ろな目は中空を彷徨い、顎には口から零れ落ちた涎が垂れ始めた。
「アハアハアハ…。見える、見える…。作家連中が僕の足下に平伏す様が…。流行作家となつて、皆の尊敬を一心に集める僕の姿が…。芥川先生に激賞され、飛ぶやうに賣れる僕の小説が…。」
 鎮痛剤中毒で妄想に取り憑かれたこの男こそ、第三囘芥川賞受賞を確信し、賞金で借金を返さうと圖つてゐた、當時二十七歳の太宰治であつた。

 

    二

     先日、佐藤先生よりハナシガアルからスグコイといふ電報がござゐましたので、お伺ひ申しますと、お前の「晩年」といふ短篇集をみんなが芥川賞に推してゐて、私は照れくさく小田君など長い辛棒精進に報いるのも惡くないと思つたので、一應おことわりして置いたが、お前ほしいか、といふお話であつた。
    ──太宰治『創世記』より──

 群馬県、谷川温泉の安宿である。
 早朝の山の涼気に目を覺ましたばかりの太宰治は、枕頭に朝刊の置かれてゐる事を発見した。布團に這入つたまゝ早速目を通し始める。今朝の新聞には、心待ちにしてゐた芥川賞の發表が載ると、知つていたのである。
 一瞥して、直ちに「おや」と思つた。在る筈の自分の名と自分の作品名とが無く、代はりに愚とも付かぬ作品が記されてゐたからである。
 まず、太宰は彼自身の目を疑つた。何度か擦つて見た。しかし、見える景色は以前と變はりがない。次に、「はゝあ、俺は大方惡い夢を見てゐるのだらう」と思つて、頭をばんばん叩いたりもしてみた。が、やはり效果がなかつた。突き付けられた記事が残酷な現實であると否應無く受け入れねばならなくなつた時、太宰は初めて涙を流した。
 第三囘芥川賞に選ばれた作品、それは太宰治『晩年』ではなく、小田嶽夫『蹴りたい城外』と鶴田知也『蛇にコシャマイン』だつたのである。
 太宰は絶望した。徹底的に打ちのめされた。様々な感情が、魑魅魍魎のやうに跋扈し始める。それは丁度、百鬼夜行の屏風繪に似てゐた。真つ赤に燃ゆる舌をチロチロと出してゐる白蛇姫は、船橋に残して來た太宰の細君である。だらしなく口を破けさせてゐるお化け提灯は、世間の風評が實體化した化け物である。借用書を振り囘してゐる骸骨どもは、パビナールを盛つてくれた薬屋の主人、生活費を工面して呉れた友人たちらしい。姉崎に似た狸も居る。狡猾さうなぬらりひよんは、佐藤春夫で間違ひあるまい。異形の者どもが踊り跳ね、鐘を衝きながら、太宰の腦を次々に通過して行く。それは狂つてしまひさうになるほどの耐へ難い苦しみだつた。
 そんな中、太宰を最も苦しめたのは、大紅蓮に包まれた火車である。それは嫉妬の異名であつた。
「天才の、この俺を、え、え、選ばないで、ああ! よりによって、二人も、二人も! 日本文學史上最高の作家、この太宰治を差し置いて、歴史に残らぬ凡夫を、選ぶとは! これは、何かの間違ひだ! これは何かの間違ひだ!」
 暴走を始めた火車は、物凄い勢ひで周圍の鬼たちを薙ぎ倒しながら、太宰の腦内を縱横無盡に駆け囘つた。

 

    三

     大作家になるには、筆の修業よりも、人間としての修業をまづして置かなくてはかなふまい、と私は考へた。戀愛はもとより、人の細君を盗むことや、一夜で百圓もの遊びをすることや、牢屋に入ることや、それから株を買つて千圓まうけたり、一萬圓損したりすることや人を殺すことや、すべてどんな經驗でもひととほりして置かねばいい作家になれぬものと信じてゐた。(中略)私は、そのやうなむだな試みを幾度となく繰り返し、その都度、失敗した。私は大作家になる素質を持つてゐないのだと思つた。
    ──黒木舜平(太宰治の別の筆名)『断崖の錯覚』より──

 猛り狂ふように咆吼し終へた太宰を待つてゐたのは、得も言はれぬ敗北感だつた。
 温泉宿から東京へ歸つて來た彼は、普段は癈人のやうに腑抜け、少し元氣さへ出れば狂犬のやうに誰彼構はず噛み付いた。
「若くて、女で、かわいければ! それだけで受賞できるのか!」
「日本文學の衰退を憂ふ! 俺は眞つ當な評價を受けねばならない!」
 太宰の錯亂ぶりは見苦しい物に違いなかつた。或いは、他の受賞者へ燃え上がらせた嫉妬の炎も、的外れのボヤだつたと難じねばなるまい。が、彼の愚かしい姿が憐憫の情を催させるのもまた歴然とした事實である。
 或る正午である。午砲が鳴り、その余韻が過ぎ去る頃、太宰の門を叩く者があつた。井伏鱒二である。麦藁帽で暑さを避けつつ、荒れる弟子に一家言授けやうと來訪したのである。
「おう、邪魔するぞ。」
 折角の師匠の訪問にも太宰は腕枕をして無言のまゝである。ゴロリと横になり、ムツツリと沈黙を護つてゐる。
 井伏は畳の上へドツカリと腰を下ろすと、團扇を使ひながら、こんな話をして太宰を慰めた。
「私はかう思ふ。『長い辛棒精進』をしていた小田君なんかより、新進作家であるお前に賞を與へた方が良かつたのではないか。時代に埋もれ、二十一世紀には最早誰も覺えてないであらう小田・鶴田より、日本文學史に唯一無二の地位を築くお前の方が、より芥川賞に相應しくはなかつたか、と。芥川賞は『各新聞・雜誌に發表された純文學短編作品中最も優秀なるものに呈する賞』で、『主に無名もしくは新進作家が對象となる』。」
 ここで井伏は語を切り、ニンマリと太宰を見詰めた。當の太宰は知らんぷりである。聴き手が無頓着だらうが氣にせず井伏は話を繼いだ。 
「『主に無名もしくは新進作家が対象となる』んだ。これこそが芥川賞の本旨だ。所謂職業作家として既に生計を立てゝゐる作家が、何年もかけて獲る賞ではない。況や有名作家をや、である。太宰、お前が獲るべきだつたんだよ。いや、第三囘の眞の受賞者はお前さ。だから腐らず、落ち込まず、精進を續けるんだ。」
 ここで初めて太宰が口を開いた。
「ですが、僕は金が欲しかつたんです…。賞金の五百圓が…。」
「金は俺が何とかするさ。」
 遠くで氷賣りの聲が聞こえる。二人の間には静かな時間と、じつとりとした夏の空氣が凝固した。太宰はいつの間にか涙を流している。
 井伏はニコニコしながら太宰を見守つてゐたが、やがて再び話し始めた。
「今囘の芥川賞、若い二人の受賞、これを歡迎する。帝大や三田の文學青年どもは、やれ話題作りだとか、やれ活字離れする若者へのアピールだとか、色々な氣焔を吐いてゐるやうだが、いいんだ、さういふ賞なんだから。
 芥川賞が堕落したといふ事は、ない。これまでの記録よりも数段早い最年少記録だつたから、批判されたんだ。それだけだ。お前は川端さんの、そして芥川龍之介の早熟を知つてゐる。さうして、夏目先生の遅咲きを知つてゐる。年齢なんて作品の善し惡しには關係無い、知つてゐるだらう。」
 太宰はただ默つて點頭いた。井伏は愈笑顔になつた。
「だから、素直に祝福しやうぢやないか。金原ひとみさんと綿矢りささんの受賞を。」

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14.熱目漱雪『夢十夜(ゆめじゅうよる)』の変奏

 ジョルジュ・ペレックという作家の作品に『煙滅』というリポグラム小説がある。リポグラムとは文字落としという言葉遊びの一種。件の『煙滅』はフランス語における最頻出アルファベット「E」の文字を一度も使わずに書かれている。当然翻訳は不可能だと長らく思われていたが、なんと日本語訳が刊行された。しかも「イ段」を一切使わずに翻訳するという驚異の離れ業であった。
 研究によれば、日本語において最も使用頻度の高い仮名は「イ」である。そして、最も使用頻度の高い段は「ア段」だそうだ。それは果たしてホントーデアルカ? 実感していただくため、夏目漱石夢十夜』の第一夜の、ア段の音を「Z」に、イ段の音を「X」に置き換えてみます。では、ご覧あれ。


ZXXXZ
  こんZ夢をXZ。
 腕組XをXてZくZ元XすZってXると、Zお向XX寝ZおんZZ、XずZZ声でもうXXZすとXう。おんZZZZXZXをZくZXXXて、XんZくのZZZZZうXZねZおをそのZZX横ZえてXる。ZっXろZ頬の底XZZZZXXのXろZ程よくZXて、くXXるのXろZ無論ZZX。到テXXXそうXZXえZX。XZXおんZZXずZZ声で、もうXXZすとZっXXXっZ。X分もZXZXこれZXぬZと思っZ。そこで、そうZね、もうXぬのZね、と上ZZ覗X込む様XXてXXてXZ。XXZすとも、とXXZZZ、おんZZZっXXと眼をZけZ。大XZ潤XのZる眼で、ZZXZつげX包ZれZZZZ、ZZXX面XZ黒でZっZ。そのZ黒ZXとXの奥X、X分のすZZZZZZZX浮ZんでXる。
 X分Z透X徹る程ふZくXえるこの黒眼のつZをZZめて、これでもXぬのZと思っZ。それで、ねんごろXZくZのそZへくXを付けて、XぬんZZZろうね、ZX丈夫Zろうね、とZZXXZえXZ。するとおんZZ黒X眼を眠そうXXZっZZZ、ZっZXXずZZ声で、でも、Xぬんですもの、XZZZZXZとXっZ。
 Z、ZZXのZおZXえるZXとXっXんXXくと、XえるZXって、そZ、そこX、写ってるZZXZせんZと、XこXとZZってXせZ。X分ZZZって、ZおをZくZZZZZXZ。腕組XをXZZZ、どうXてもXぬのZZと思っZ。
 XZZくXて、おんZZZZこうXっZ。 「XんZZ,埋めてくZZX。大XZXん珠ZXでZZを掘って。そうXて天ZZ落Xて来るほXのZけをZZXるXX置XてくZZX。そうXてZZのそZXZってXてくZZX。ZZZXXXZすZZ」  X分Z、XつZXX来るZねとXXZ。
「XZ出るでしょう。それZZXZXずむでしょう。それZZZZ出るでしょう、そうXてZZXずむでしょう。──ZZXXZXZXZZXXへ、XZXZZXXへと落XてXくうXX、──ZZZ、ZってXZれZすZ」
 X分ZZZってうZずXZ。おんZZXずZZ調XをXXZんZXZげて、 「Zく年ZってXてくZZX」と思XXっZ声でXっZ。
「Zく年、ZZくXのZZのそZXすZってZってXてくZZX。XっとZXXXZすZZ」
 X分ZZZZってXると答えZ。すると、黒XXとXのZZXZZZZXXえZX分のすZZZ、ぼうっと崩れてXZ。XずZZXずZ動Xて写るZげをXZXZ様X、ZZれZXZと思っZZ、おんZの眼ZZXXと閉XZ。ZZXZつげのZXZZZZXZZ頬へZれZ。──もうXんでXZ。
 X分ZそれZZXZへ下Xて、Xん珠ZXでZZを掘っZ。Xん珠ZXZ大XZZめZZZふXの鋭XZXでZっZ。つXをすくうZXX、ZXのうZXつXのXZXZZXてXZXZXZ。XめっZつXのXおXもXZ。ZZZXZZくXて掘れZ。おんZをそのZZXXれZ。そうXてZZZZXつXを、上ZZそっとZけZ。ZけるZXXXん珠ZXのうZXつXのXZXZZXZ。
 それZZほXのZけの落XZのをXろってXて、ZろくつXの上へ乗せZ。ほXのZけZZるZっZ。ZZXZXZ大ぞZを落XてXるZXZX、ZどZ取れてZめZZXZっZんZろうと思っZ。ZXZげてつXの上へ置くうXX、X分の胸と手Z少XZZZZくZっZ。
 X分Z苔の上XすZっZ。これZZZく年のZXZこうXてZってXるんZZとZんZえZZZ、腕組XをXて、ZるX墓せXをZZめてXZ。そのうXX、おんZのXっZ通XXZXZXZZ出Z。大XZZZXXでZっZ。それZZZおんZのXっZ通X、ZZてXXへ落XZ。ZZXZんZでのっと落XてXっZ。XとつとX分Zん定XZ。
 XZZくするとZZZZくれZXの天道ZのそXと上ってXZ。そうXてZZってXずんでXZっZ。ふZつとZZZん定XZ。
 X分ZこうXう風XXとつふZつとZん定XてXくうXX、ZZXXをXくつXZZZZZZX。Zん定Xても、Zん定Xても、XつくせZX程ZZXXZZZZの上を通X越XてXっZ。それでもZく年ZZZ来ZX。XZXXZ、苔のZえZZるXXXをZZめて、X分ZおんZXZZZれZのでZZZろうZと思XZXZ。
 するとXXのXZZZZすXX分の方へ向XてZおXくXZ伸XてXZ。XるZXZZくZって丁度X分の胸のZZXZでXて留ZっZ。と思うと、すZXと揺ZぐくXのXZZXX、心持XくXをZZぶけてXZ細ZZXXXXんのつぼXZ、ふっくZとZZXZをXZXZ。ZっXろZゆXZZZのZXで骨XこZえる程XおっZ。そこへZるZの上ZZ、ぽZXと露Z落XZので、ZZZX分の重XでふZふZと動XZ。X分ZくXをZえへZXて冷ZX露のXZZる、XろXZZXZX接吻XZ。X分ZゆXZZZおをZZす拍XX思Zず、遠XそZをXZZ、ZZつXのほXZZっZXとつZZZXてXZ。
「Zく年ZもうXてXZんZZ」とこのとXZXめてXZつXZ。


 ──ご覧の通り、とても読めたものではない。  しかし、日本語の語彙はまことに豊饒で、ア段イ段ごとき無くなった所でフランス語に負けるような貧弱な言語ではない。第二夜を、ウ段エ段オ段のみで変奏してみせます。ただし、使える母音をU・E・Oとし、『煙滅』日本語版では禁じられていたイ段の字は認める(拗音を含むシュ・ショなどは可、ということ)。


五分の十よる
 この夢を見聞する。
 和尚のむろを出て、通路てで己の書屋しょおくへ戻ると法灯の炎朦朧と灯ってる。太腿ふとももすねとの途中のせつを布団上へ着けて、灯明の毛をると、秋桜の如く灯油ぽとっと朱の燭へ落つ。それで書屋のぽっと煌々と変ずる。
 布の戸の、蕪村のふでです。黒の楊柳ようりゅうを濃く薄く、ここそこへ線描、凍えてる様子の漁夫帽をもとへ向けて土手の上を通る。とこ洋上文殊ようじょうもんじゅふくを着けてる。燻って残る線香、黒の方で現況も香を放出する。広袤こうぼう仏家ぶっけゆえ無音で、者のの存せぬ。黒の天井へ写る円灯の光芒の揺れ、上方を向くと動物の如く目へ映る。
 けつを据えず、弓手ゆんでで布団をめくって、馬手めてを突っ込むと、思う所へ、十全と存する。存するとほっとするので、布団をもとの如く戻すと、その上へどっと着く。
 おめえでももののふです。もののふ、そうすると悟得当然でしょうと和尚申す。そうずっと悟得不能の所を以て考ずると、おめえもののふでねえでしょと申す。凡夫の屑ですと申す。ふうん怒ってるねと述べて嘲笑する。無念を思うこそ悟得の証拠を持って来ることと述べてくるっと向うをむく。不遜者め。
 接する大室おおむろの床へ据えてる漏刻ろうこくの今度の刻を打つ目前、瞭然と悟得するぜ。悟得の上で、この夜四度目の往訪をする。それで悟得を元手で和尚の首を受け取る。悟得せぬと、和尚の定命を取れぬ。どう転んでも悟得する。己こそもののふぜよ。
 悟得せぬと切腹する。もののふの侮辱受けて、存生するのもよくねえ。すっと往生する。
 こう考ずると、己の手覚えず布団のもとへ潜る。それで朱筒しゅづつのどすを抜く。ぐっとを持って、朱の筒を向こうへ除くと、冷てえ刀剣突如おぼろの書屋で照る。すげえもの手元をすうすうと抜ける如く思う。それで、ことごとく剣の末へ揃って、痛憤を寸毫へ籠めてる。この鋭え刀剣の、無念のきょく鋲の頭部の如く詰め、九寸五分の先頭へ及んで不承不承鋭く突出するのを瞥見べっけんすると、忽然こつぜんぶすっとするのを欲す。胴の血漿けっしょう右方の手へ流血すると、持つ柄ぬるぬるする。口辺こうへんふるえる。
 どすを筒へ突っ込んで右側うそくへ寄せ付けて置くと、それで禅を組む。──趙州じょうしゅう述べる無と。無ってどれのことぞ。糞坊主めとくうくくむ。
 口腔の奥の方を強くこうするゆえ孔穴こうけつへの高熱の呼吸凄く出る。おでこ横釣って鈍痛を覚ゆ。眼を普通の相乗も太く剥く。
 幅目へ付く。法灯目へ付く。六畳目へ付く。和尚の禿頭とくとう瞭然と目へ付く。相好を崩す上嘲笑する声も聴取する。不遜者の坊主め。どう転んでもその禿頭を首級とするぞ。悟得するぜ。無です、無ですと舌根ぜっこんで念ずる。無ですと述べるけど結局線香の余香する。分不相応の線香め。
 突然拳骨を結ぶと己の頭部をこれでもって程ぶつ。それで口腔の奥の方をぐぐぐと咬する。両の腕の付け根へつゆ出る。背、棒の如く変ずる。太腿と臑との節を継ぐ所突然苦痛を生ず。太腿と臑との途中の節折れてもどうってことねえと思う。けれども苦痛で。苦で。無、すぐ出て来ぬ。出て来ると思うとすぐ苦痛を生ず。憤怒する。無念です。とても痛恨です。目のつゆほろほろ出る。躊躇せず胴を鉱物へぶつけて、骨も臓物も区々と寸裂するよう欲するよ。
 それでも目を瞑って凝然ぎょうぜんと尻を据えてる。捨ててえ程切ねえものを胸へ盛ってこんを詰める。その切ねえもの長躯全ての腱を上方へのぼせて、毛の孔穴こうけつを噴出するぞ噴出するぞと焦慮するけれども、何処も全面詰めてて、丁度出る所のねえ如く殺生極限の様子ですよ。
 追っておつむ変梃へんてこと変ず。法灯も蕪村の画も、六畳も、床の構造も存すれどねえようで、ねえようで存する如く目へ付く。と申せど無ちょっとも現前せぬ。疎放そほうで禅を組んでるようです。ところへ忽然接する室の漏刻ボーンと響動どよむ。
 えっと思う。馬手をすぐどすへ乗せる。漏刻ふうをボーンと打つ。

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15.小松軍曹と市尾伍長

 S湖沼での野営時、わたくしは市尾伍長と焚き火を守っておりました。そうして二人きりで文学の話をしておりました。
 わたくしにはこの時間がとてもおもしろく感じられました。なぜなら、他に文学の話のできる兵士がいなかったからです。文学なぞ女々しい室内遊戯だ──そう思われていた戦時中のことですので、仕方のないことだったのです。
 わたくしたちは声をひそめながら話していました。しかし、そのうちに興奮してきて、知らず知らず声が大きくなっていました。
 このような場面を誰かに見られたら、軍法会議にかけられるでしょう。それなのにわたくしたちは、熱っぽく激論を交わしていたのでした。さらに悪いことには、敵国のある小説を讃えるまでに我を失っていたのです。
 そこに現れたのは、颯爽と馬を操る小松軍曹でした。軍曹は地獄耳ですから、たまたま近くを通りかかっただけでもわたくしたちの会話が聞こえたのでしょう。
 わたくしは震え上がり、顔面を蒼白にして黙り込みました(お恥ずかしい話ですが、わたくしはそのご、軍曹が去るまで一言も語を発することができませんでした)。伍長はと言うと、わたくしと同様震えていたものの、毅然として軍曹を見上げました。
 軍曹の現れる直前、わたくしたちは文章の威力について議論を戦わせていました。軍曹はそれを聞きつけたらしく、伍長に向けて怒号をぶつけます。
「文弱の徒め。『ペンは剣よりも強し』とは何だ。剣がペンより弱いはずがないだろう。剣とペンで立ち回りができるか。ペンに人は殺せん。」
 軍曹は口角に泡を溜めながら、まくし立てました。わたくしは黙って俯きましたが、驚くことに、伍長は声を震わせながら抗弁を始めました。伍長が抱く文学への情熱は知っていましたが、それが上官に刃向かえるほど強い物だとは思いませんでした。
「ペンが強いというのは、書くことができるからであります。ペンは後世まで考えを伝えられるのであります。そうして、知力は腕力よりも偉大な、人間最大の武器だということであります。」
「書くこととは何だ?」
「創ることであります。」
「創ったって何が強いのだ。壊せる剣の方が強いに決まっている。剣は人を殺せるが、ペンは人を殺すことを創れるのかね?」
 軍曹は皮肉たっぷりにそう言いました。すると、やや間があってから、伍長は「創れます。ペンは何でも創れます。」と答えました。その時のわたくしには、それは伍長の強がりのように思えました。
 軍曹はいかにも憎たらしいといった顔つきでしばらく伍長を睨んでいましたが、しまいにこう言いました。
「創ってみよ。ならば創ってみよ。人を殺せる文章を! 期限は一週間。創れなければ、わかっているな。この剣で、おまえの首をはねてやる!」
 軍曹はサーベルをすらりと抜き、宙で無茶苦茶に舞わせてから切っ先を伍長の喉元に突きつけました。わたくしは思わず目をそむけました。当の伍長は、刃が触れるか触れないかの距離なのに、微動だにせず軍曹を直視し続けていました。その様子はまるで、「ペンは剣よりも強し」と無言で訴えているかのようでした。
 それを見た軍曹は不敵な笑みを浮かべながらサーベルを鞘に納めました。そうして馬を駆って去っていきました。
 軍曹が去るとわたくしは腰を抜かしてその場に座り込んでしまいました。伍長は冷や汗を流しながら、軍曹の去っていった方向を見つめています。わたくしは伍長に「どうするつもりなのか」と問いました。すると伍長は、「やるしかないだろう」とだけ言って沈黙しました。

 それからの一週間、伍長はろくに寝食もせず机に向かいました。その姿はさながら幽鬼のようで、その時の様子は思い出したくもないほど恐ろしいものでした。
 一週間経ち、約束の日が来ました。軍曹とその側近の兵士数名が伍長のテントに訪れました。
「市尾伍長、外に出よ。」
 兵士が何度も呼びかけましたが、伍長からの返事はありません。不審に思った兵士はテントの中を覗きました。その瞬間、兵士は「あっ」と声を挙げました。中で、伍長が短刀を喉に突き刺して絶命していたのです。
 遺体のかたわらには一通の封筒が置いてありました。厳重に封印されていて、表に「小松軍曹以外の人間は中身を見るべからず」と断り書きがしてあります。
 これを見た軍曹は、さすがに肝を潰したのでしょう、側近に開封を求めました。
 事情を知らないその兵士は、命じられるがままにその封筒を開け、入っていた便箋に目を通しはじめました。
 読みはじめてすぐのことでした。その兵士は突然絶叫しながら頭を抱え、そうして辺りを苦しそうに走り回り、終いには短銃で自分の頭を撃ち抜きました。
 これを見ていた兵士たちはわけもわからず混乱しましたが、軍曹だけは顔を青くしつつほほえんで、「新しい兵器の誕生だ」と呟きました。そうして便箋を作戦本部に持ち帰るよう部下に命じました。命じられた部下は怯えながら、便箋を慎重に封筒へ入れ、自らの懐にしまいました。

 作戦本部に帰ってきた軍曹は、将校たちに新たな作戦を提案しました。
「ご覧下さい。この手紙には呪われた文章が書かれております。読んだ人間を死に至らしめる、忌まわしき文章であります。にわかには信じられないかも知れませんが、効果は実証済みであります。嘘だと思われるなら、試しましょう。おい!」
 軍曹は部下の一人に手紙を読むよう命じました。その可哀想な兵士は抵抗しましたが、取り押さえられたまま無理矢理文面に目を晒しました。程なくその兵士はガクガクと痙攣し始め、泡を吹きながら舌を噛み切って死んでしまいました。
 この様子には、幾多の修羅場を潜り抜けてきた将校たちも驚きを禁じ得ませんでした。そうして熱心に、話の続きに耳を傾けました。軍曹は次のような恐ろしい作戦を提示しました。
〈殺傷能力のあるこの手紙を大量複製し、敵国にばらまく〉
 何ということでしょう。伍長が魂を削って書き上げた文章は、殺戮兵器へとその姿を変えてしまったのです。それは、伍長にとっては耐え難い仕打ちだったでしょう。「文学は人々を幸せにする物だ」と信じてやまなかった伍長にとっては…。
 軍曹の発案になるこの作戦は、満場一致により採決され、なるべく早く実行することが取り決められました。
 文章を見ないよう、慎重に印刷作業が行われました。印刷してもその魔力がなくならないことは、捕虜を使用した生体実験によって証明されました。伍長の死から二週間後、いよいよ作戦が開始されました。
 大量のビラは複数の爆撃機に搭載され、上空から敵国全土へ投下されました。作戦指揮官の軍曹は爆撃機のうちの一機に乗り込み、悪魔の笑みを浮かべながらヒラヒラと舞い落ちる無数の紙片を眺めていました。全てのビラが投下されると、編隊は満足げに基地へ戻りました。
 作戦を遂行した数日後、軍曹は曹長に呼び出されました。軍曹は作戦成功の報償に与れると思っていましたが、その期待は全く裏切られました。作戦は見事に失敗していて、敵国には全く被害がなかったのです。軍曹はこっぴどく叱られたあげく、減俸まで命じられる散々な通達を出されました。
 軍曹はやり場のない怒りを部下たちにぶつけながら、こう叫びました。
「あの野郎、人を殺せる文章が創れるなどと大口叩きおって。嘘つきめ! …そうか、あいつは約束破りを恥じて自決したのだな。ペンで死んだのではない、剣で死んだのだ。」
 それは間違いでした。伍長は確かに人を殺せる文章を創ったのです。作戦が失敗したのも、実は文章力不足が原因ではなかったのです。敵国の人間にとって伍長の文章は外国語であり、理解できる者がほとんどいなかったからなのです。
 伍長の文章をインチキと決めつけた軍曹は、あの恐ろしい手紙を鞄から取り出して読みました。ああ、軍曹は勘違いをしています。その文章は本当に危険なのです。あの作戦では、わたくしたちの言語を理解しない外国人が相手だったから被害がなかったのです。言語を理解できる軍曹は、このままでは命を落としてしまいます。
 …あれ? 全く影響がないようです。どうしたことでしょう。
 ああ、何ということでしょう。軍曹が発した次の言葉は、戦慄を覚えさせるに充分な物でした。
「痛くもかゆくもないわ。何が書いてあるのかさっぱり読めん。」
 忘れていました、軍曹は文章の美を全然理解しない人間だったのです!
 文盲の軍曹は手紙を破り捨て、誇らしげにこう宣言しました。
「分かり切っていたことだが、やはり剣の方がペンよりも強いのだ!」

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