28.サルタンバンク (ピカソによる)

 旅芸人の家族(6人)は野原で休憩していた(次の興行先へ移動している最中だったのだ)。広がる青空と樹木一株も立ってない草原。
 デップリと肥ったペペおじさん(道化師。41歳)は3人の子供たち(パブロ(軽業師。16歳。得意な芸は玉乗り)とホセ(同じく軽業師。10歳。得意な芸は宙返り)とサンティッシマ(踊り子。9歳))を連れてメドラノ・サーカス一座に加わっている名物アルルカン。赤い服(サンタクロース、のような)と赤い帽子(三日月なりに先端が曲がっているハット)をまとっていて、左手には大きな袋(座興で使用する道具(たとえばバトン(パブロとホセが使う)やナイフ(ディエゴが使う)・猛獣を服従させるムチなど)が入っている)を担いでいる。ペペおじさんはこの休憩中に、一家に居候しているディエゴ(ナイフ投げ曲芸師。24歳)に金貨(前回の公演(於モンマルトル)の分け前である)を与えようとした(以前、彼らはナイフ投げの芸で息が合わず(ペペおじさんの中空に放り投げたナイフをディエゴが上手に受け取らなかったのだ)少し関係をあやうくしていた。その気まずさを解消するために、給料を今払おうというのである)が、拒否をされてしまって(ディエゴは左手を背中に隠した)面食らってしまった(ペペおじさんのその表情には、嫌悪感と、裏切られた時のような悲哀が満ちている)。「世の中は金で動いている」と信じているペペおじさん(ヒツジの肉が好物だ)は、金貨を握った右手を持て余しながら(うまく手馴付けられると思ったのだが)、ディエゴの拒絶に己の価値観を揺るがされた(金で信頼は買えないのか!)。
 スラリとした体型のディエゴ(菱形模様の服(赤青緑のカラフルな衣装)を着て、首には赤いマフラーを巻いている(巻ききれなかった布は左肩に垂れている))は4年前からメドラノ・サーカス一座に加わり(腹が減って路頭に迷ってた時にサーカスの一座が訪れた。その芸を見たディエゴ(運動神経は良い)は「俺にも出来そうだ」と思い、入団を直訴したのである)、今ではペペおじさん一家(ペペおじさん・マリア(奇術師。25歳。ペペおじさんの後妻)・パブロ・ホセ・サンティッシマ)と行動を共にしている。ディエゴはペペおじさんのお世話になってきて感謝していたが、最近ではその仲を険悪な物にしつつある(以前、彼らはナイフ投げの芸で息が合わなかった(ディエゴが宙で受け取るナイフをペペおじさんが上手に放らなかったのだ)のも象徴的な出来事だ)。それというのも、ディエゴはペペおじさんの一人娘(サンティッシマ(9歳。踊り子)のことである)と人知れず恋仲になっていた(半年前くらいから)からである(現にディエゴはサンティッシマと手をつないでいる(ディエゴの右手とサンティッシマの左手))。それは禁断の恋だった(年齢差的にも、居候先の娘に手を出すという点でも)。他人の目(パブロ・ホセ・マリア)からは、大人のディエゴが子どものサンティッシマの手を何気なく引いているように見えるだろうが(子どもに対する大人の愛情(やさしさに近い情。肉欲的な物ではなく)と映るだろう)、ペペおじさん(実の父親の勘が働いたのだろうか。それとも嫉妬?)は「サンティッシマから手を離さないか」と警告してきた。しかしディエゴは左手を後ろ手に回し(軍隊の命令「休め」に従うような姿勢になって)、広々とした大草原を眺めてペペおじさんの警告を無視した(ペペおじさんとディエゴの関係はますます悪化して行くばかり)。ディエゴはサンティッシマとの間柄を本物の恋愛だと信じている(「弟分のパブロなら、俺のこの恋愛を理解してくれるだろう」と考えながら)。
 坊主頭のパブロ(左手に樽(ブドウの絞り汁で満たされている)を担いでいる(この樽は玉乗り芸の練習にも使える))は、同じく坊主頭の弟(ホセ)と一緒に立っていた。大人たち(ペペおじさんとディエゴ)の話し合いが終わるのを待っている(だだっ広い荒野に迷い、次の行き先を決め兼ねているのだ)。ペペおじさんは北(それが北かどうかはパブロにはわからない。だが、太陽の位置からしてなんとなく北だと思えたのだ)を向き、ディエゴは西を見ている。二人の意見は平行線をたどる。早く(肩甲骨に樽がズッシリと食い込むから)決めて欲しいとパブロは思った。イライラするパブロは、マリア(一団から一際離れた場所で優雅に座っている)の後ろ姿を睨んだ。パブロには、ペペおじさんとディエゴの論議が煮詰まらない(仲が悪くてお互いに譲らない)のはマリアのせいに思えた(マリアはペペおじさんの妻でありながらディエゴと関係を持っている)。「おまえをお母さんとは呼ばない。決して」パブロは右手を胸に当てながら神に誓いを立てた。「俺がこの世で唯一信じている物、それは血を分けた肉親だけだ。すなわち、父ちゃん・ホセ・サンティッシマ…」
 サンティッシマ(バレエシューズを履き、傘の開いたスカート(ピンク色)から白いタイツ(健康的な肉付きをした脚である)を地面に突き下ろしている。左手はディエゴ(伸長170cm)に委ね、右手は花カゴ(地面に置かれている)の取っ手(蔓状)の上に軽く添えている。髪には赤いバラが一輪指してある)は苦しんでいた。ペペおじさんと恋人との間で不穏な空気が張り詰めているのは、9歳のサンティッシマには重すぎた。今夜はペペおじさん(実の父親)の相手をしなければいけない日(月水金がその日)だが、ディエゴはサンティッシマの手を離そうとしない。今もこの左手を握るディエゴの右手は汗ばんで粘着物質のようにぬめり、野獣のように野蛮な筋肉の動きを伝えてくる。サンティッシマは俯き加減になりながら、次兄のホセに助けを求めた(目の動き・色で)。だが、ホセはそっぽを向き(遠くに光る海を眺めている)、残酷にサンティッシマを見捨てた。誰からも救われないサンティッシマ(「そろそろおトイレに行きたいから手を離してほしいな」と思ってマゴマゴしている)。
 ホセは水色の衣装を着流しに羽織り(連続後方宙返りをする時にこの衣装がはためき、観客の目を喜ばせる)、肩には赤いスカーフ(彼のお気に入り)をかけ、右手はスカーフの裾を掴んでいる。不敵な笑みを浮かべるホセの顔は、長兄のパブロと同一方向に向けられている(陽光に照らされる海の輝きがきれいだ)。幼くして冷徹な視点を持ったホセ(利発な子どもである)は、人生の暗澹(サンティッシマの俯き)や人間関係の脆弱姓(ホセ自身の家族が絆を崩壊させている事)を鋭く嗅ぎ取っている。「自分には一般人にない怜悧な視座が存在する」と自覚しているホセは、将来は人間観察の仕事(それは創作家であったり大学教授だったり)に就こうと、10歳にして既に人生のプランを練っている(海を見つめながら)。ホセにとってこのサルタンバンク(旅芸人)の一家は研究対象(情のある付き合いをすべき対象ではない)であり、視線を交える必要のない(また、対話すべき必要のない)下らない集合だった。目下の興味は海であり、海から生まれ出てきた生命であり、人類誕生の哲学的意義である。家族間のいざこざなど、たいして面白い物ではなかった(つまらなくもなかったが)。とげとげしい各個の孤独をよそに、ホセは一人カヤの外に独立し、マリア(彼女も、海に心奪われているのだろう)も見つめる海を眺めていた(だが、マリアはホセのように崇高な理念を有して風景を観賞しているとは思えないが)。
 5人(ペペおじさん・ディエゴ・パブロ・ホセ・サンティッシマ)から遠ざかって座っているマリア(質素な上着に朱色のスカート、花飾りのついた麦わら帽子を着用している)は水差しの壺(赤土色の焼き物)から水を補給しながら休憩している。草原を(滑らかに渡る)海風が心地よい。着物の左肩がはだけそうになる(時折風が強さを増すのである)のを左手で押さえ、実に穏やかな表情で海の白波を見ている。ペペおじさんという夫がありながら毎晩ディエゴに迫られ、その場面をパブロ(多感な年頃)に覗き見され(テントの中を舐めるように窺うパブロの目がテントの布の隙間から毎晩光っているのだ)、そうした愛欲に溺れる日々がマリア(厳しい旅生活の渦中にある彼女)に平安を与えているのだ。「旦那(ペペおじさん)と愛人(ディエゴ)は、まーたアタシ(マリア)の事でケンカしてる。パブロは黒パンツを膨らませている。かわいげのないサンティッシマは、突然始まったケンカに驚いて声を出せずにいる。ホセはどうしたら良いかわからなくてオドオドとおののいている。ホント、アタシの魅力ってば魔性よね」サーカス小屋ではハトを自在に操る(空っぽのはずの箱からハトを取り出したり、文字を描くようにハトの群れを飛翔させる)奇術を披露するが、サーカス小屋の外では男どもを自由に取り扱う。「ヒマつぶしに家族(ペペおじさん・ディエゴ・パブロ・ホセ・サンティッシマ)を困らせてやったが、まんまとうまくいった」とマリアは天使の慈愛で以てほくそ笑んだ。
 旅芸人の家族(6人)は野原で休憩していた(次の興行先へ移動している最中だったのだ)。広がる青空と樹木一株も立ってない草原。