23.ポーラ

夕暮れ
 安アパートの一室。窓から差し込む強烈な西日。室内、オレンジ色。
 チェンバロ、リコーダー、フィドルリュート。めくるめく煌めく音楽。メリー・ゴー・ラウンドのバック・グラウンド・ミュージック。跳ねっ返る高い音。おもちゃ箱をひっくり返したようなキラキラ。サーカスのような。サーカスのような。サーカスのようなサーカスのようなサーカスのような。
 そこかしこに、おもちゃ。天井で回転するメリー。赤青黄色さまざまに明滅するイルミネーション。電飾。電飾電飾電飾。赤青赤青赤緑、紫黄白緑青。部屋の空気はオレンジ色。
 白い木馬。プラスチック特有のツヤで反射するたてがみ。装飾的な鞍。軍楽隊に追い立てられるような怯懦の瞳。
 セルロイド製の人形。表情は微笑。つぶらで黒目がちな眼、穏やかな口元。しかし無表情。微笑。しかし一切伝わってこない感情。
 フランス人形。すましたお顔で。イルミネーションの明滅で色々に変化する顔色。
 散乱する、つみき。カーペットの上の。つみき。血。
 クマのぬいぐるみ。フランス人形の腕に抱かれた。愛くるしい。それは薄汚れていて。友。恐怖を、痛みを分かち合ってくれるような。
 室内はオレンジ色。きらびやかな音楽。陽気なファンファーレ。楽しげでそれでいて寂しげな夜の遊園地の音楽。原色の光の洪水。ターン・オン、ターン・オフ、カラフルなライトの呼吸。
 フランス人形のような女の子。おにんぎょさんみたいに。整った目鼻立ち。ベッタリと床に座って。赤いチェックのワンピース。フリルのついたスカート。スカートから投げ出された足。足の先には赤い靴。ツヤツヤしていて光を反射。ベッタリと床に座って。左手にクマのぬいぐるみを抱っこして。右手を鎖に繋がれて。整った目鼻立ち。うつろな目。血のにじむ唇の端。青く腫れた右まぶた。
 室内はオレンジ色。メリー・ゴー・ラウンドのバック・グラウンド・ミュージック。アパートの窓外は夕焼け空。日が暮れる。男が玄関の鍵を開ける時、狂ったショーが始まる。

 

別の夕暮れ
 すっぱだかにひん剥かれた女児の水死体がドブ川に浮かんでいたので橋の欄干から石を投げつけているとボブが来た。
「何してるの」
「石をぶつけようと奮闘中」
 ボブちらと水死体を見て手近の石を拾う。
「こうするんだよ」
 ボブの投げた石は女児の生白い腹に当たってポコンと跳ね返った。
「さすが」
「だろ?」
 ボブ二投目は鋭利な石を一投目より勢い良く投げつけてこれも命中、ガスが溜まってパンパンに張った女児の腹にめり込んだ。ほどなくその痕から立ち昇るのだろう耐えがたい悪臭が鼻腔を刺す。
「クサイ」
「ほんとクサイ」
 投石を中断して鼻を抑えつつ青黒く膨れ上がった女児の顔を見ているとはてなんだか見覚えがある。ジャンの妹ではないか。
 しばらくしてジャンがちょうど通りかかった。
「あれおまえの妹じゃねえ?」
「ああ。そうみたいだな」
 ジャンは欄干にもたれかかって水死体を静かに見下ろす。嗅覚が麻痺し始めたので的当てを再開する。ボブも無言で石を投げる。ボブの投げた石はおでこに当たり、腐肉がぐちゅりと削げた。
「やっぱりおまえの妹か?」
「そうだな」
 さっきからボブは顔ばかり狙っていてそれでいて石が眼窩に突き立ったりした時などはいかにも悔しそうに舌打ちをしていたがむごたらしくカパリと開いた口に石が飛び込んだ時ようやく本懐を遂げたらしく小躍りをして喜んだ。妹の口腔にすぽりと石が入った名場面にジャンも意欲をそそられたのか石を手に取ってダーツを投擲する事前動作のような仕草をする。慎重に放った。歯に当たってカチリと音がした。三人が三人とも思わず大きな嘆息を漏らし口惜しげに呻いた。
 ジャンはなおも石を投げ続けながら「クサいね」と言った。「そうだね」と簡単に相槌を打ってまた投石に没頭する。ボブはジャンに意地悪するため大きめの石をぶつけて死体を俯せに回転させようと試み始めた。させてなるものかと苦笑しながら死体が仰向けのうちにたくさんぶつけようと投擲のペースを少し早めた。
 日が暮れかかる頃にはとっくに石投げをやめて川下の美しい夕焼けを見ていた。ジャンの妹の口の中には石が三個入っていた。
「そろそろ帰ろうか」
「うん」
 タバコを捨てると川に火が点いた。重油まみれの水面がほむらでゆらゆらと揺れた。
「最後の一球」
 これから焦げるであろう妹にジャンが並々ならぬ熱意で石を投げつける。それを祈るような気持ちで黙って見守った。ジャンの投げた石は残念ながら口の中の石に拒まれて川に落ちた。
「今のは入ってたな」
「口の中に石がなければ」
 さみしく笑って橋を渡った。

 

また別の夕暮れ
 浜辺で、漁師のような格好の浮浪者が、ごきげんに歌いながら、焚き火をしていて、彼は赤ワインをチョクチョクたしなみつつ、時折、波打ち際を見やりながら、また何か漂着しないかな、なんて、狡猾そうな目を光らせながら、日焼けした肌を、海風にさらし、ワインと、ワインのような色の海と、腐った血のように赤黒い太陽が、神経中枢を痺れさせるほどに酔わせるこの宵、優しく真砂を洗う波の音が耳に心地よく、特に敬虔でもない彼でも、さすがに、神の存在を言祝ぎ、そして、ワインをたしなみながら、何かを食べているのだが、それはどうやら、表面がこんがりと焼かれた、香ばしい何かの肉で、中は生焼けで、どろどろに溶けた、チーズのようなそれを、うまそうに、そして、得をしたような笑顔で、むさぼっていて、それから、未熟な腐肉をナイフで削ぎ落とし、やはりこれもおいしくいただくのだが、めまいのするような結構なうまみが、数日間ろくな物も食えず飢えていた彼の味覚を幸福にさせるし、至福の瞬間、これ以上ない喜びは、緑色に濁った球体をかじり、中身をチュウチュウと吸い出し、とろみのある液体を、いや、体液かな、それを口に含んで舌の上で転がしたのち、舌なめずりして唇の周りを拭うことであり、肉をつまんでいる手とは逆の、あいた手で祈りの真似事をし、神に感謝を捧げるのは、この浜辺に打ち上げられた、未開封のワインボトルと、この肉とを、彼にプレゼントしてくれたことに対してであり、ごきげんに歌いながら、焚き火をしていて、何かを食べているのだが、それはどうやら、表面がこんがりと焼かれた、香ばしい何かの肉で、香ばしい何かの肉で、香ばしい何かの肉で、どろどろに溶けた、チーズのようなそれを、うまそうに、そして、どろどろに溶けた、得をしたような笑顔で、むさぼっていて、むさぼっていて、とろみのある液体を、むさぼっていて、中は生焼けで、これ以上ない喜びは、やはりこれもおいしくいただくのだが、腐った血のように赤黒い太陽が、香ばしい何かの肉で、至福の瞬間、めまいのするような結構なうまみが、舌なめずりして唇の周りを拭うことであり、そして、それはどうやら、それから、海風にさらして、そして、むさぼっていて、どろどろに溶けた、そして、それから、ワインと、ワインと、どろどろに溶けた、そして、どろどろに溶けた、おにんぎょさんみたいに、うまそうに、うまそうに、うまそうに、うまそうに、うまそうに、うまそうに、うまそうに、うまそうに、うまそうに、そして、そして、うまそうに、うまそうに、そして、うまそうに、うまそうに、うまそうに。